近藤誠『放射線被ばく CT検査でがんになる』まえがき全文

まえがき

 福島第一原子力発電所での事故に関連し、だれもが気にしているのは、放射線の危険性は本当のところどの程度なのか、ということでしょう。政府の言うことは今ひとつ信用しにくいし、テレビに出てくる専門家たちは明確な根拠を示さないまま「その線量なら安全だ」「大丈夫」を繰り返す。安全とする理由がわからなくては、かえって不安がつのろうというものです。

 そこで本書では、放射線が健康に与える影響とその程度について、データ的根拠を示しつつ、正確な情報提供を目指します。各線量レベルに応じた健康影響の知識があれば、冷静な対応が可能になると思うからです。

 ただ、原発事故後の(一般人やマスコミの)反応を見ていると、バランスがとても悪いと感じます。つまり、原発事故による放射線被ばく(の可能性)を不安がる気持ちはよくわかるのですが、それならば、医療の場で日々(現実に)被ばくしている放射線はどうなのか、と思うのです。

 というのも、たとえばCT(コンピュータ断層撮影)による放射線量はたいそう多く、原発事故処理に当たっている現場作業員と同等以上に被ばくしている人も少なくないからです。

 そのうえ日本は、放射線検査による国民被ばく線量が世界一。そして、検査被ばくによる発がん死亡リスクも世界一と(先進国の調査によって)推定されているのです。とりわけ、将来ある子どもたちや若者の発がん死亡が懸念されます。

 放射線は、原発から漏れれば危険で、医療用なら安全というものではなく、被ばく線量が同じなら、健康影響の種類と程度は同じです。それゆえ、医療検査による被ばくについて知識を求めれば、原発事故の影響について知ることにもなる。

 また原発事故は、時間はかかっても、いずれ処理が終わるのではないか。これに対し検査被ばくは、病気や医療がなくならない以上、未来永劫(みらいえいごう)続きます。そこで本書は、検査被ばくの問題点に光を当てることに努めました。

 それにしても、です。日本は世界で唯一原爆を落とされた国だから、国民に放射線アレルギーがあるはずです。それなのになぜ医療の場では、かくも放射線被ばくに無警戒なのか。大きな理由は、「愚民化政策」にあったように思われます。

 つまり医者たちは、患者・家族が放射線被ばくについて正しい知識を持つことを嫌い、なるべく情報を伝えないか、伝える場合には健康影響を最小に見せかけようとしてきた。そういう政策ないし陰謀が功を奏してきたと思うのです。

 そのうえ医師たちは、検査被ばくの危険がないかのように偽(いつわ)るため、虚偽(きょぎ)の事実をも公言してきた。放射線科医の総本山である「日本医学放射線学会」その他の学会が率先して(患者・家族へ)ウソをつくことを奨励してきた事実を示します(92頁以下参照)。

 これは、原子力発電事業を推進するために、東京電力その他電力会社が取ってきた、原発は安全だ、放射線に危険はないとする洗脳政策とそっくりです(東電のウェブサイトには、「二〇〇ミリシーベルト以下は安全」という記述があります。〈五月三〇日現在〉)。

 このように、医者と原発関係者という、人びとを被ばくさせる側の意図や政策が共通しているので、本書で両者を扱うことに一層の合理性があるでしょう。

 ところで、被ばくの危険性という場合、実際には発がん死亡の危険性を意味しています。この点私は、放射線による癌(がん)の治療を専門としており、自分が治療した患者のうち数人が、放射線誘発がんを発症して死亡しています。程度こそ違え、検査や原発事故による発がん死亡の問題を考える上で参考になると思われるので、私の経験したこともお伝えしましょう。

 最後に本書の構成を説明しておくと、第1部には、月刊「文藝春秋」に寄稿した二本の論文(二〇一一年六月特別号の「近藤誠 放射線被曝 どの数値なら逃げるか」と二〇一〇年一一月号の「CT検査でがんになる」)を載せています。放射線被ばくの要点は、これだけでも把握(はあく)可能と思われます。どちらも大きな反響を呼んだ論文なので、ほぼ原文のまま転載し、注の形で補いました。

 検査被ばくで発がん死亡する根拠、日本が被ばく大国となった原因、無用な検査被ばくを避けるための対策などは、第2部で解説しました。テレビ番組に出てくる専門家たちが、なぜ「安全」を連発するのか、第四章で裏事情がわかるでしょう。>/p>

 第3部では、放射線や発がんの基礎的な情報について述べたのち、読者が抱くであろう疑問を予測し、一問一答形式で解説します。飛ばし飛ばし読まれても意味が通じるよう配慮したつもりです。第1部や第2部の内容と重複するところがありますが、正確な理解のためには必要な重複と思われます。

 なお、本書では、「がん」という表記と「癌」とが混在しますが、読みやすさを考えてのことで、同じ意味です。

 本書が読者の思考整理に役立ち、今後の判断や行動の羅針盤(らしんばん)となれるよう願っています。

 
 二〇一一年五月