落語的了見

第3回 味覚

いい加減なもの

 今回は食事の話。

 人間は、脳で食事をしているという。胃袋が満杯になったから腹がいっぱいになるのではなく、脳がもう満腹だとサインを出すから食べられなくなるとのことである。甘いものは別腹というが、脳が甘いものならば食べられる、あるいは食べたいとサインを出す。すると胃袋の中の食物がどんどん腸に流され、胃袋に甘いものを入れる空間をこしらえるのだそうだ。

 近ごろ、人々の脳は料理人という輩(やから)にだまされている気がする。テレビでどこぞの料理屋が美味(うま)いとか、人気の料理人が考案した食品が美味いとかいうのをうのみにし、己(おのれ)の味覚よりもマスコミの評価を信じている節がある。

 人間の味覚なんて実にいい加減なもので、りんごと大根の区別だってつかないものなのだ。ためしに目を閉じて鼻をつまんで交互にりんごと大根を口に放り込んでごらん。どっちがりんごかわからない。りんごのほうが甘いからわかりそうなものなのだが、視覚と嗅覚(きゅうかく)を遮断(しゃだん)されるとわからなくなる。つまり人間の味覚なんて、その程度のものなのだ。

テレビの洗脳

 マツタケは高級品で香りがよいと日本人ならば誰もがそう思っている。だが、あるテレビ番組で実験をしていたが、箱の中にマツタケを入れて、中身が何であるかを伏せ、不特定多数の人に匂(にお)いを嗅(か)がせたら、マツタケだと答えられた人はほとんどいなかった。大抵の人は「臭(くさ)い」と顔をしかめていた。中にはドブネズミの臭(にお)いがすると言った人までいた。

 だから、テレビで美味いと紹介していたから美味いに違いない、と思って食べているに過ぎない。テレビで人気の料理人が考案したおにぎりだから不味(まず)いはずがない、と洗脳されているだけだ。

当たるわけがない

 芸能人に目隠しをさせて安い肉と高級な肉を食わせ、どちらが美味いかを言わせる、なんという番組がある。高級肉を当てた人が一流で外れた人が二流、というわけだが、当たるわけがない。考えるに、安い肉のほうを美味いと思った人は、「俺にとっての良い肉はこっちのほうなんだ」と主張すればよいと思う。

 私は寿司ダネでは、断然コハダが好きだ。本マグロの大トロよりコハダが好き。大トロが好きな人のほうが味覚に優れているというものでもあるまい。自分が美味いというものが美味い、つまり己の基準を持つべきである。

 カレーライスなんか、どこの一流専門店よりも家でこしらえるカレーライスのほうが美味いではないか。家で人目を気にせず家族と食べる料理のほうが外食より美味いに決まっている。外食が美味いと思うのは、たまの贅沢(ぜいたく)で、「だから美味いに違いない」と脳が命令しているからにほかならない。

料理人にだまされるな

 それにしても、テレビで紹介されるラーメンの不味さときたらない。全部の店とはいわないが、脂(あぶら)の使い方を間違っているとしか思えない店がある。背脂(せあぶら)なんかあんなに入れるものではない。料理の匂いとは本来、良い香りのはずなのに、流行(はや)りのラーメン屋の近くに行ってごらん。悪臭がする場合が多々ある。

 塩分もカロリーも恐ろしいほど高い。美味いものほど体に悪いとよく言われるが、それは料理人のこしらえた言葉。「酒は百薬の長(ちょう)」という言葉を酒のみが言ったのと同じ。美味いものとは本来、体に良いものなのだ。体が欲するものが美味いもの。水がその代表だ。体に悪いものをこしらえて何が料理人だ、と私は言いたい。

 人々よ、料理人にだまされるな、である。

 なお、私はテレビを信用していないから、テレビが紹介した店やテレビで人気の料理人が考案した食品は不味いと思い込んでしまっている。だから仮に美味くても、脳が不味いと指令を出してしまうので、ますます不味くなり困惑している。

2012年9月10日更新

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