落語的了見

第7回 自転車

庶民感覚の押し売り

 最近、自転車が流行(はや)っているうえに、マナー違反が著しく、ちょっとした社会問題になっている。落語的了見からすると「乗るな」である。自転車にまたがっている姿は滑稽(こっけい)だということに、みな気がつかないといけない。何が滑稽かというと、自転車のペダルをこぐという行為は一所懸命だからである。

 一所懸命な姿を人に見せるのは粋(いき)ではない。どちらかというと間抜けだ。どんな小粋な女でも、立ちこぎをしたとたん、ドジに見える。色男が自転車で必死に坂道を登っていたらそれだけで喜劇だ。総理大臣が買い物かごのついたママチャリに乗っていたら、とたんに威厳がなくなる。

 よく選挙運動のときに自転車に乗って回る候補がいるが、あれは一所懸命さのアピールであり、庶民感覚の押し売りだ。大衆は野暮(やぼ)な方がわかりやすいから、あの行為に好感を持つ。もっとも、粋を重んじたらまず当選はしない。青島幸男(あおしまゆきお)だけは例外だが。青島さんが支持されたのは選挙運動をしなかったから。それが格好よく見えた。抜群の知名度がある上での戦略だった。

チリンチリンは「どけどけ」

 話を自転車に戻す。職業として自転車が必要な場合は仕方がないが、近所への買い物だとか、通勤時の駅に行くための足代わりならば、乗らないでいただきたい。歩けばいいのだ。駅まで30分かかるって? そのくらい歩けるだろうよ。道でいろいろな発見があるし、四季を感じられる。健康にもいい。

 駅前の駐輪場に自転車を停めているサラリーマンをごらん。悲壮感が漂っている。この先、出世しそうには見えない。駐輪場に停めるのはまだましだ。駅前に放置する奴(やつ)もいる。そいつの顔を見てごらん。後ろ暗い顔をしている。みんなやっているのだから何が悪いという顔。観光地にゴミを捨てる連中と同じ顔だ。

 一番みっともないのが、駅前のファーストフード店にまるで客のような顔をして停める奴。卑屈な顔をしている。財布を拾って、警察に届けるのだという小芝居を打ってネコババする奴と同じ顔をしている。

 放置自転車は時折回収され、後日いくらか払うと返却されるシステムになっているが、そんな奴には返さないで、中国かどこかの窃盗団にあげてしまえ。そうすれば善良な市民の自転車の盗難が減るはずだ。

 一番タチが悪いのが歩道を我が物顔で走る奴。歩道というくらいだから歩行者優先のはずなのに、スピードをゆるめない不届き者がいる。後ろからチリンチリンとベルを鳴らしてくる。あれはつまり「どけどけ」と言っているわけだ。口で「すみません」の一言がなぜ言えない? チリンチリンとやられたら絶対に道をあけてはいけない。

 横断歩道を平気で横切っていく馬鹿がいる。青信号で歩行者が渡っているのにそれを横切っていく。雨の日に傘をさして片手で運転しているおばちゃんがいる。ただでさえおばちゃんは運転が下手なのに片手でフラフラ、危なっかしくては見ていられない。私の知り合いの映画監督は、私の独演会のチケットを購入しにコンビニに行こうとしたら、自転車にはねられて寿命を縮めてしまった。自転車はもはや凶器なのである。

「便利」より「情緒」

 今の社会は、路上喫煙禁止など煙草には厳しいが、自転車にはあまりにも寛大だ。自転車からもどんどん罰金をとるべきだ。歩道では自転車禁止。降りて引いて歩けばよい。雨天での自転車禁止。いっそのこと免許制にしてしまうのも手だ。

 それより、駕籠屋(かごや)に復活していただきたい。サラリーマンが駅まで駕籠に乗ってくるなんて粋だ。小学生が登校するときも、父兄や上級生が駕籠を担いで学校まで届ける。情緒あふれる光景だ。世の中、「便利」を優先するからその弊害に悩まされる。「情緒」を優先すれば、たとえ不便でも人間は豊かになるのである。

2012年11月10日更新

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