落語的了見

第11回 昭和歌謡

間違いなくハマる

 日本人はどうして自国の文化を大事にしないのだろうか。歌謡曲(かようきょく)ひとつとってもそうだ。今の歌は詞にやたら英語を入れる。アメリカの歌で、詞にやたら日本語が入っているものなんて聞いたことがない。

 日本語の歌を英語の発音でうたう輩(やから)もたくさんいる。カッコいいと思っているのだろうが、アメリカ人が聞いたら冷笑するだろう。「壊れかけのRadio(レディオ)」という曲があるが、「壊れかけのラジオ」でいいじゃないか。ラジオを「レディオ」なんという日本人がどこにいる? ラジオをレディオというなら「壊れかけ」も英語にすればいい。

 私が好きな懐メロ、すなわち昭和一桁(ひとけた)年代から始まり、昭和30年代に昇華した昭和歌謡の歌詞は詩人が書いている。それが、フォークソングあたりから、詞に主義主張が入るようになってきた。主義主張はかまわないのだが、近ごろの詞は感想文に近い。読んだら恥ずかしくなるようなものが大半だ。

 メロディーにしても、今の曲は海外からのパクリが多いときいた。それも曲を丸ごと。元来、日本人は器用だから、昭和歌謡にも海外からのパクリが多い。しかし大半は、ごく一部分のメロディーか、メロディーではなくリズムを拝借したものだ。

 日本の三味線(しゃみせん)音楽にあらゆるリズムを混ぜ合わせたのが昭和歌謡。だから昭和歌謡を勉強すれば、ワルツ、ブギ、ジャズ、ルンバなど、あらゆる音楽のリズムを学べるのである。

 音楽が好きな人は間違いなくハマると思う。みな知らないだけだ。

「よくもまあ生まれる前の歌なんか」?

 この日本の歌謡曲を、日本人は大事にしてこなかった。もはや、昔の歌謡曲といえば美空(みそら)ひばりしかない。昔の歌謡曲をおろそかにしたせいで、日本において歌謡曲は滅んだといってよい。その証拠に、みなでうたえる歌のなんと少ないことか。三橋美智也(みはしみちや)、岡晴夫(おかはるお)、藤山一郎(ふじやまいちろう)をないがしろにした結果である。

 私が「昭和歌謡が好きだ」というと、人からは「よくもまあ生まれる前の歌なんか好きになりますね」と驚かれるが、それならサッチモ(ルイ・アームストロング)やグレン・ミラーのジャズはどうなる? モーツァルトのクラシックは古くさいか? 音楽でなくても、映画の「ローマの休日」が好きというのはどうだ? 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説が好きだといったら、「あなた、その時代に生まれていないのに好きなのですか?」と聞くか?

唐突だが、カレーうどんだ

 たしかに昭和歌謡は流行歌だから、時代とともに色あせてはいく。昭和40年代のアイドルの歌や初期のフォーク、演歌などはとくにそうかもしれない。しかし、昭和歌謡創生期や発展期の歌は、もはやクラシックなのである。詞の美しさ、メロディーの豊かさは、現在の歌をはるかにしのぐ。

 この時代の歌謡曲を片っ端から聞いてごらん。日本人で本当によかった、と思えるから。もちろん、現在にもいい歌はある。椎名林檎(しいなりんご)や向井秀徳(むかいしゅうとく)なんかは、すばらしいと思っている。

 唐突だが、昭和歌謡はカレーうどんだ。日本の食べ物であるうどんにインドの食べ物であるカレーをあわせ、カレーうどんが誕生した。三味線音楽に西洋のリズムをあわせてこしらえた歌謡曲。似ていますね。近ごろクリーミーな西洋風のカレーうどんが若者に人気だそうだが、私は駄目。カレーうどんは蕎麦屋(そばや)のカレーうどんで十分。

 なんの話をしているのかわからなくなりました。

2013年1月10日更新 (次回更新予定: 2013年1月25日)

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