落語的了見

第14回 暴力 後編

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怒りが収まっても悲しみが増えた

 口で言ってもわからない奴を殴っても、わかるはずがない。でも従わせなければいけないときには、暴力で従わせるのは仕方がない。軍隊がそうであった。刑罰もまさにそれである。少しでも反省していることがわかると「情状酌量の余地あり」となる。

 しかし、口で言ってわかる奴を殴るのは、やはり野蛮だ。下品だ。プロ野球の星野仙一(ほしのせんいち)監督の鉄拳制裁なんか、己(おのれ)の欲求不満のはけ口にしかみえない。あるいはパフォーマンス。有能な指導者は、手をあげない。

 乱暴なイメージがある談志は、実は弟子に手をあげたことはない。兄弟弟子の間で暴力があったことを聞くと激怒した。そこで殴った弟子を呼び出してボコボコに、となれば落語なのだが、談志は理路整然と暴力がなぜいけないかを教えた。

 談志の凄(すご)いところは、怒鳴りながら理路整然と教える。その昔、竹中直人(たけなかなおと)が「笑いながら怒る人」という芸をやっていたが、談志は理路整然と怒鳴る。怒鳴りまくるガンジーであった。

 で、怒ったあと、「あいつは馬鹿だからいくら言っても理解できないんだよな。痛めつければこちらの気持ちは解消されるがそれではなんにもならない。ならば罰金をとるか」。談志がやたら弟子から罰金をとるようになったのは、そういう思考経路からなのである。

 やがて弟子は罰金、つまり痛みを味わいたくないから、しくじらないように懸命になった。だが理解しての行動ではないから、談志の怒りは収まるものの、悲しみは増えていった。

戸塚ヨットスクールを2日で脱走

 談志は、仲のよかった落語家の春風亭栄橋(しゅんぷうていえいきょう)師匠がパーキンソン病になったとき、戸塚(とつか)ヨットスクールに入校させた。戸塚宏(とつかひろし)さんが「どんな病気でも治してみせる」と談志の前で豪語したからだ。「人間、恐怖を与えると脳にドーパミンが出る、それが病気治療の解決の糸口になる」云々(うんぬん)。

 その栄橋師匠の付き人として、談志の弟子が月替わりで戸塚ヨットスクールに行くことになった。当然私も行った。パーキンソン病の栄橋師匠が海でサーフーボードの上に立たされ、戸塚さんがモーターボートから波を起こし、栄橋師匠を海に落とす。はい上がる栄橋師匠を再度、落とす。この繰り返し。治りませんでした。

 私はお付きで行ったのに、スクールの生徒と同じように訓練させられた。生徒はものがわからないからここにきたのだろうが、私は違う。言葉で言っていただければわかる。「訓練なんぞやなこった」と2日で脱走した。ちょうど親が病気だったのでそれにかこつけて。

 そんな機転がきく人は、殴られたら恨みしか残りません。そういうこった!

2013年2月25日更新

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