落語的了見

第25回 胃カメラ

人生に対する未練

人間誰しも、自分が早死にするとは思っていない。20代や30代で死ぬはずがないと思っている。そしてそれは40代、50代まで続く。だが、万が一という思いが脳裏をよぎるのが、40代あるいは50代。せっかく若いときに死なずにすんだのに、ここで死んだらもったいない。それは人生に対する未練である。

かくいう私も40代後半で娘を授かったので、「この子が20歳になるまでは元気でいたい」と、人生に未練がある。そこであわてて人間ドックとなるのだが、人間きっかけがないとなかなか一歩を踏み出せない生き物だ。たぶん、娘が生まれなかったら色々と理由をつけて人間ドックに行かなかったと思う。

なぜ行かないか。面倒くさいというのもある。人生がかかっているのに面倒くさいって、あまりにもひどい理由だが、誰しもが自分だけは死なないと思っているのだから仕方がない。

もうひとつの理由は、恐怖である。胃カメラに大腸カメラ、この2つの苦痛を想像するとやはり二の足を踏んでしまう。

オエェ!が止まらない

20年ほど前、一度だけ胃カメラを飲んだが、あの苦しさときたらなかった。私としてはそんなものを飲む気はまったくなかったのだが、体調の悪い日が続き、見かねた師匠の談志が強制的に私を病院に送ったのだ。

担当医から聞いたのだが、師匠がこう言ったそうだ。

「志らくは落語界の宝だから死なすわけにいかない。絶対に治せ!」

涙が出るほどありがたい言葉だ。で、胃カメラを飲んだのだが、苦しかった。

真ん中に穴の開いたゴムを口にはめられ、カメラを突っ込まれる。オエェ! が止まらない。普通、オエェ! をする場所は便器かドブだ。それが人の顔、つまり先生の顔を見ながらオエェ! 実にはずかしい。それでポリープが見つかり、すぐにレーザーメスで切除して事なきを得たが、二度と胃カメラは飲むまいと誓った。

妻の兄も同じことを言っていた。「あんな思いをするなら死を選ぶ」とまで言っていた。なるほど、胃カメラとはかくも恐ろしきものだ。大腸カメラは未経験だったが、風の噂(うわさ)に聞くと、胃カメラより痛いらしい。

ついに受け入れた胃カメラと大腸カメラ

私は娘の成長を見たいという人生の未練のために、その二つの恐怖を受けいれることにした。ここ数年お世話になっている医者が、最高のテクニックを持つ医者を紹介してくれた。そして恐怖に震えながら胃カメラと大腸カメラをやったのだが、二つともほとんど痛くなかった。大腸カメラなんか途中で寝てしまったくらいだ。

つまり、上手い医者にやってもらうと痛くないのだ。あるいは私が最初に受けたときより技術が進歩したのかもしれない。大腸カメラについてネットで調べてみたら、リスクを考慮して麻酔を使わない医者もいるとのこと。麻酔を使わないのだからその痛さはまるで生き地獄だそうだ。そりゃそうだ、尻の穴にカメラをさすんだから。麻酔を使用しないのはその医者の信念らしい。

だが私は考えた。麻酔を使えばリスクがある。麻酔を使わない方が身体に良いことは間違いないだろう。でもその痛さを自分だけのものにしておけるか? 誰かに話したくなるはずだ。武勇伝として、あるいは面白話として。胃カメラや大腸カメラの話題になるたびにどれだけ痛かったかを話すだろう。

私もそうだ。高座でもしゃべった。義兄も同じだ。この話を聞いた人はどうなる? そんなに痛いならと人間ドックを受けるのを躊躇(ちゅうちょ)するのではないか。もしそれがために発見が遅れて手遅れになったら……。麻酔のリスクはあるが、それよりもこちらの方が問題ではないか。私はこれから胃カメラ・大腸カメラは痛くないと言い回る。「世のため人のため!」ってほどではないが。

ちなみに談志は胃カメラが好きだった。あの痛さが快感だと言っていた。しょっちゅう検査を受けていた。「ちょいと飲みに行ってくらぁ」と言って出かけていたらしい。

(次回更新予定:3月1日)

2014年2月3日更新

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