落語的了見

第26回 葬式

嫌い、出ない

私は葬式不要論者だ。とにかく葬式が嫌い。もちろん葬式なんぞ好きな人なんぞいないだろうが……いや待てよ、いるな、葬式になるとがぜん活き活きする奴(やつ)。仕切りたがる親戚のおじさんもいるな。

私はよほどのことがないと葬式には出ない。皆で泣きながらお別れしましょうという雰囲気が嫌だ。棺桶(かんおけ)に入った故人との最後のお別れも嫌。大切な人の思い出は元気だったころの笑顔がいい。死に顔を見たらそれが思い出になってしまう。私が死んだら顔を見せるのはNGにする。

焼き場も趣味が悪い。故人の入った棺桶を焼き場に入れるのを皆で見送るなんて嫌だ嫌だ。で、焼き上がるまでお酒を飲んで皆で待つ。そして焼き上がると骨を取り囲んで箸(はし)でつまんで骨壺(こつつぼ)に入れる。誰が決めたのか知らないが、やりたかないよ。

『片棒』を聞いてごらん

師匠の談志の場合は、家族だけの密葬だった。弟子は参列していない。だからいまだに師匠が死んだような気がしない。なるほど、葬式とは死を確認するためのものなのだ。だが故人が大切な人なら確認なんかしたくない。師匠の場合、後日、ゲストをたくさん呼んで「お別れの会」を盛大にやった。それでいいのだ。

葬式をやるにしても、楽しい葬式にすればよい。落語の『片棒(かたぼう)』を聴いてごらん。ケチな親父が「もし自分が死んだらどんな弔(とむら)いをしてくれるか」と息子に問うたら、息子たちは「贅沢(ぜいたく)をしまくる」と答える。花火は打ち上げるわ、お囃子(はやし)は入るわ、祝儀をきりまくるだの、滅茶苦茶。でもそんな葬式の方がいいのではないか? 

私の葬式が楽しみ

故人の好きなもので埋め尽くす。故人の好きな料理を参列者にふるまい、故人の好きな音楽を流し、故人の好きな歌を全員で歌う。故人が生きているうちに、自ら要望をまとめておけばよい。お別れのあいさつも、可能ならば元気なうちに動画で撮影しておく。一晩中、仲間が集まって語り合い、歌い、踊る。私は自分の葬式をそうするつもりだ。

何だか今から楽しみになってきたぞ!

2014年4月23日更新

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