言論のアリーナ

第3回 「歴史の抹消」の抹消

本コラムの筆者・福嶋聡氏は、40年近くにわたり、書店の棚を通じて言論や時代の変化を見続けてきた。そこからは、いくつもの著書も生まれた。書店の棚にはどんな役割があるのか、書店員は何ができるのか。その自問自答から導きだされた帰結が「書店は言論のアリーナである」だった。「言論のアリーナ」の40年を振り返り、そこに登場してきた数々の本や書店の果たしてきた役割を見つめなおし、「これからの本と書店」を考える。

ある大学生の来店

「私は、世の中にこれほど多くの嫌韓嫌中本が出ていることを、今まで知りませんでした。私の大学の図書館には、そのような本は並んでいないからです」

店のバックヤードのパイプ椅子に座ると同時に、彼女は言った。

2015年の夏、一人の立命館大生が、ジュンク堂難波店を訪れてくれた。国際政治を専攻しているという彼女は、数日前、朝日新聞に載った嫌韓嫌中本、いわゆる「ヘイト本」に関するインタビュー記事を見て、ぼくに面会を申し込んできたのだ。 国際政治を専攻し、新聞記事を頼りにレポートのための取材を申し込んでくるような大学生でも、世に「ヘイト本」が氾濫していることを知らなかったのだ。ぼくはいささかの驚きを感じ、そして、すぐに納得した。

立命館大学図書館の司書が、「ヘイト本」を選書から外したことは不思議ではない。しかし大型店でなくとも今の書店には、ベストセラー、ロングセラーとして多くの「ヘイト本」が並んでいる。残念なことに、彼女は書店に通うという習慣を持っていないのだ。

ぼくは、自分もまた彼女同様、店内を歩いていたときに「ヘイト本」の増殖に気づき、驚きと不快を感じたこと、同時期に『NOヘイト!』(ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会 編、ころから)の刊行予定を知って、その本を中心としたフェアを企画したこと、その後の経緯などを、順を追って話した(第1回第2回参照)。彼女は熱心にメモを取り、質問を挟み、2時間程度、ぼくの話を聞いてくれた。前回書いた在日三世の青年のように、彼女も「知りたかった」のだ。知らなかったがゆえに、「知りたかった」のだ。

人間は、「知りたがる」生き物である。「知りたがる」がゆえに、相互に伝えたがる。言語は、知るための、知ったことを保存するための、そしてそれを伝達するためのツールである。人間が「知りたがる」のは、人間が知らなければ生きられない生き物だからだ。

丸山圭三郎(言語学者、フランス文学者、哲学者。『言葉と無意識』講談社現代新書、『言葉とは何か』ちくま学芸文庫、などの著書がある)は、人間だけが言語を持つのは、人間が〈本能の壊れた動物〉であるがゆえであると言う。他の生物は、本能で生きることができる。馬は、生まれ落ちた瞬間から立ち上がることができる。二足歩行は人間の特性だが、そのやり方を知るまでに、つまり立ってあるき出すまでに平均1年前後かかる。馬は生まれたときに本能が完成しているが、人間はそうではないのだ。それは、人間の子供が母親の胎内にいる期間が短すぎるからであるという。すべての人間は、未熟児として生まれてくるのだ。そして、そうであるがゆえに、生後も、知らなかったことを知って発達することができ、またその衝動を持つのである。

「真実を知ってしまったんですよ」

「知りたい」という衝動は、一部の人のものではなく、知らなければ生きていけない人間みなに備わっている。ヘイトスピーチを叫び「ヘイト本」を擁護する人びとも例外ではない。

「ネットの情報などで、だんだんと本当のことを知るようになりましたからね」(安田浩一『ネットと愛国』講談社、p58)

「僕は拉致事件がどうしても許せなかったんです。いったい北朝鮮とはどんな国なのか。ネットで検索を重ねるなかでヒットしたのが在特会の動画。これによって北朝鮮のことだけでなく在日の存在もまた、日本を危機に追いやっているのだと理解することができました。真実を知ってしまったんですよ」(同p94)

在特会会員が、安田浩一の取材に答えた言葉である。安田は、言う。

「真実――在特会に関係する者の多くが好んで使う言葉の一つだ。『真実に目覚めた』『真実を知った』。リソースとなったのは、いずれもネットである。新聞、雑誌、テレビによって隠蔽されてきた真実が、ネットの力によってはじめて世の中に知られることになった」(同p94)

だが、それは真実ではない「真実」である。

彼らは「知ってしまった」のである。そして「知ってしまった」ことが、その行動、活動の原動力となっているのだ。彼らが知ってしまった「真実」こそが、「在日特権」なのだ。

事実と誤謬推理

桜井誠が、「在特会」=「在日特権を許さない市民の会」を設立したのは、2007年1月20日である。「在特会をつくろうと私が考えましたのは、在日による無年金訴訟がきっかけとなっています。私はこれに大変な怒りを覚えた。冗談じゃない! 1円の掛け金も払っていない在日が、カネ寄こせと言ってるわけです。多くの日本国民は歯を食いしばって、少ない給料のなかから掛け金を払っている。こんな訴訟、許せるわけがありません!」(『ネットと愛国』p64)

そして、在特会の綱領ともいうべき「七つの約束」の冒頭に、「1. 在日による差別をふりかざしての特権要求を断じて許さない」を掲げた(同p70)。

在特会の名前の由来である「在日特権」は、次のように列挙される。

●特別永住資格によって、ほぼ無条件に日本に永住できる。滞在資格による条件がなく、たとえば他の外国人であれば犯罪を起こせば強制送還されても、在日コリアンにはそれがない
●通名(本名以外の氏名)使用が認められている
●彼らは外国籍でありながら生活保護の受給が認められている
●一部自治体では、在日コリアンや、在日団体の関連施設に対し税制面で優遇措置をしている

これらの「在日特権」について、安田は、次のように述べている。

「いずれも事実だ。事実ではあるが、果たしてこれが本当に「特権」と呼べるものなのか。……彼らの物言いには日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史認識も、旧宗主国としての責任も、すっぽり抜け落ちているように思える」(同p70)

在特会の会員たちは、安田も認める事実を知った。しかし、それは今日の在日の人たちの表層的なありようであり、真実と呼べるものではない。真実を語るためには、そうした表層的なあり方をもたらした歴史的経緯をも、知らなければならない。

彼らの「知る」ことへの情熱は、そこまで掘り下げるほど強くはない。だから、同会の米田広報局長の次のような発言が飛び出す。

「いまの時代、日本人の多くが貧困に苦しんでいる。ホームレスになったり、自殺したりする人も少なくない。年間3万人もの人が自ら命を絶っているんですよ。なのに在日は外国籍でありながら生活保護を優先的に受け取り、しかも日本への悪口ばかり言ってるではないですか」(同p71)

安田は、彼らに「うしろめたさ」はないと言う。「むしろ彼らは自らが『被害者』であることを強調する。若者の『職が奪われる』のも、生活保護が打ち切られるのも、在日コリアンといった外国籍住民が、福祉や雇用政策に“ただ乗り”しているからだと思い込んでいる」(p74)

米田の言葉の前半は、事実だ。いま日本人の多くが貧困に苦しみ、ホームレスになったり、年間3万人が自殺している。だがそれは、在日朝鮮人が「生活保護を優先的に受け取り、しかも日本への悪口ばかり言ってる」からではない。それは、表層的な事実だけを知り、それを盾に因果関係を創り上げるがゆえの誤謬(ごびゅう)推理というべきである。

「初めて知った真実」の増幅

なぜ彼らは表層的な事実に留まるのか? その事実に至った歴史的経緯を知り、真実を知るところにまで至らないのか?

そうした問いにぶち当たったとき、ふと、ネオテニー(幼形成熟)という言葉が頭に浮かんだ。

他の動物と違って、人間は巨大な脳を持っているため、誕生時に母体を傷つけないために、母親の胎内で十分発育する前に生まれるのだという。それゆえ、生きていくためには誕生後も発達していく必要があり、すなわち、人間は生まれながらに「知る」ことへの欲求を持つ。巨大な脳は、今度はそのために役立ち、最初未熟だった人間は失敗することによって学び、知り、成長していくのだ。つまり、「未熟」と「知る」は相補的なセットなのである。

子供の順調な成長の前提であるそのセットは、すなわち、「未熟」が「知る」につねに随伴していることは、時に大きなリスクともなるのではないか? それぞれの発達段階で適度な失敗と学習を繰り返し、やがて自分が「知った」ことを疑い検証すようになるというプロセスを踏まずに来てしまい、然(しか)るべき成熟に到達できないこともあり得るのではないか? そうして、自分の「知」を疑うことなく大人になった人は、初めて知った「真実」に、過度に引き付けられるのではないか? 自身の未熟さと知との落差が引き起こす磁場が、初めて知った「真実」が持つ磁場と重なって、増幅する。

在特会に引き付けられた人たちにとって、「在日特権」とはそのような知であったように感じる。「真実」を知り、闘うべき相手を発見した彼ら彼女らには、もはやその「真実」を疑う余地はないのだ。

安田に「在日特権」を発見したことの興奮を語るさまを見る限り、彼ら彼女らが、少年期-青年期を通じて十分な葛藤を経験してこなかったとしか思えないのである。その結果、「在日特権」の歴史的経緯を知ることで、物事が今見えているのとは別の本質を持つことに気づく深みには、進めなかったのだ。

在特会を立ち上げ、先頭に立って「ゴキブリ朝鮮人を日本から叩き出せ!」とカン高い声で絶叫する桜井誠の高校時代について、同級生たちは一様に「無口で目立たない」「物静か」な存在だったと証言、あるいはその存在さえも忘れている。彼が通っていた北九州市の高校は、近所に朝鮮学校があり、生徒同士の喧嘩沙汰が日常茶飯事であったが、その当事者であった桜井の同級生は、大人になってからはかつての喧嘩相手と「普通に酒飲んでます」と言う。「じゅうぶん殴りあったんだから、いまは別に争う理由なんて何もないしね」。彼が、桜井誠をつぎのように評しているのが、印象的だった。

「この高田君(桜井の本名)とかって人も、高校時代に喧嘩でもしておけばよかったのにね。俺にはよくわからないですよ。いまどき朝鮮人がどのこうのとムキになるのは」(『ネットと愛国』p36)

青年期に通過すべきゲートは、自省や知的葛藤の類だけではないのかもしれない。少なくともこの同級生にとっては、喧嘩もまた、経るべき道程の一つだったに違いない。

日本型レイシズムの成立

梁英聖(レイシズム研究者。『日本型ヘイトスピーチとは何か』影書房、『レイシズムとは何か』ちくま新書、などの著書がある)は、日本型のレイシズムが、戦前戦後を通じて保存されながら、その形が大きく変わっていくターニングポイントとして1952年のサンフランシスコ講和条約に注目、その結果成立したサンフランシスコ体制が、現在に至る在日朝鮮人差別の構造を決定・温存してきたと見る。

「日本政府は、1952年体制の成立期に、旧植民地出身者である朝鮮人・台湾人の日本国籍を、即時はく奪した。在日は、一夜にして『無国籍』者あつかいにされ、入管法・外登法で全面的に管理されることで、治安弾圧の対象とされるようになった。 第三の柱である『法216』とは、国籍をはく奪された旧植民地出身者を、入管法制上の特別あつかいにし、条件つきながら当分の間は日本に在留してもよいといする法律のことである。この1952年体制によって、植民地時代のレイシズム法制が戦後も継続可能となった。このことは戦後日本のレイシズム政策を理解するうえできわめて大きな意味をもつ」(梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』影書房、p116)

1910年の韓国併合条約によって朝鮮を植民地化して「日本国籍の壁」によって朝鮮人を囲いこんだ日本政府が、サンフランシスコ条約が朝鮮の独立を認めている、だから原状復帰が必要で、そのため日本国籍も「喪失した」のだと言い、国籍はく奪によって約60万といわれる旧植民地出身者が、日本国籍の壁の内から外へ放り出されたのだ。(同p117、123)

60万人の日本在住者が一瞬にして無国籍者となる。しかも、時期が戦後の東西冷戦の始まりともいえる故郷朝鮮半島内の熱戦下であったという悪条件が重なった。朝鮮戦争は、半島の分断をもたらす。日本政府の背後にあるGHQは、その熱戦と分断の当事者である。安定した故郷を持たぬ人々は、行き場を失くした。

そうした国籍はく奪の暴力性を感じたのか、あるいは60万人もの日本在住者を国外に追放することの非現実性をわかってのことか、いわゆる「法216」が在日朝鮮人を「入管法制上の特別あつかい」にし、「当分の間」の日本在留を認めた。

それが、「在日特権」の成立史である。

安田が「果たしてこれが本当に「特権」と呼べるものなのか」というのがよくわかる。この「特権」は、在日の人たちに故(ゆえ)なき差別と苦しみを与え続け、あるいは北朝鮮への帰国事業における多くの悲劇につながっていった。在特会が、そうした歴史的背景に言及することはない。「彼らの物言いには日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史認識も、旧宗主国としての責任も、すっぽり抜け落ちている」のである。(『ネットと愛国』p70)

そもそも、日本政府の悲願であった入管令の全面適用、すなわち、かつて「帝国臣民」たることを強制した者を一般外国人とまったく同じ条件で帰化審査に付すという決定は、かつての侵略・植民地政策の、みごとな “歴史の抹消” だったのである(『日本型ヘイトスピーチとは何か』p125)。

そうした “歴史の抹消” 自体を「抹消」しようとする動きが、在特会の成立の10年余り前に立ち上がり、影響力を拡大していた。

「自虐史観」の打破を掲げる、「歴史修正主義」である。

2021年3月25日更新 (次回更新予定 : 2021年4月25日)

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