言論のアリーナ

第9回 書店を襲う「非日常」

本コラムの筆者・福嶋聡氏は、40年近くにわたり、書店の棚を通じて言論や時代の変化を見続けてきた。そこからは、いくつもの著書も生まれた。書店の棚にはどんな役割があるのか、書店員は何ができるのか。その自問自答から導きだされた帰結が「書店は言論のアリーナである」だった。「言論のアリーナ」の40年を振り返り、そこに登場してきた数々の本や書店の果たしてきた役割を見つめなおし、「これからの本と書店」を考える。

『悪魔の詩』をめぐって

多くの書店が書棚から外して返品した本をあえて書棚に残し、時に「理論武装」して販売したというケースは、40年にわたる書店人生の中で、それほど多くはないけれど、何回かある。

前回(第8回 書店の棚と民主主義)のコラムに書いたオウム出版の場合には、想定したのは批判や顰蹙(ひんしゅく)までであったが、ぼくの書店員人生で初めて「置く、置かない」の決断を迫られた本は、――その時おそらく日本全国の書店員も同様であったと思うが、暴力的な攻撃さえ覚悟させた。その本とは、サルマン・ラシュディ(イギリスの作家)の『悪魔の詩』上・下(新泉社)である。

1991年7月のある日、ジュンク堂書店京都店で勤務していたぼくは、3年前に京都店に異動するまえに所属していた神戸の店の後輩スタッフから、一本の電話を受けた。

「福嶋さん……」

「……?」

「並べといても、いいんでしょうか? あの本。すぐに棚から外すべきでしょうか?」

「あの本」が、『悪魔の詩』だった。彼女は、翻訳者五十嵐一(いがらしひとし)氏が勤務する筑波大学構内で殺害されたとのニュースを知り、慌てて電話してきたのだ。

サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』は、イスラム教の祖ムハンマドに材を取った小説で、イギリスでは大きな評価を得るも、イスラム世界ではその内容が冒瀆的(ぼうとくてき)だとの批判が噴出、1989年2月、当時イスラム世界で大きな影響力を持っていたホメイニ師(イランの宗教指導者)によって、ラシュディ並びに出版に関わった者への死刑宣告がなされた。

ホメイニ師はその年の6月に死去するが、発した本人しか撤回できないファトワー(イスラム法の解釈)である死刑判決は、その後も有効であると宣言された。その直後に、五十嵐氏は殺されたのである。

事件とイスラムとの関係は慎重に扱われたが、その後イタリアやノルウェーでも訳者が襲われ、1993年にはトルコの翻訳者集会で37人が死亡するという事件も起こっている。

「棚から外す」行為に必要な絶対的確信

彼女の危惧は、当然だった。書店が、「出版に関わった者」のどのあたりに位置するかは微妙な問題だが、店頭で派手に並べて販売することは、イスラム原理主義者を大いに刺激する所業かもしれない。だが、ぼくは、「棚から外した方がいい」とは、考えなかった。

「話題書コーナーで派手に展示しなければいいのではないか? 本来の外国文学の棚で、普通に売っていれば、うちが最初に狙われることもないだろう。もし、紀伊國屋さんが襲われたら、改めて考えたらいいのでは?」

当時、ジュンク堂書店は、神戸発の大型店で専門書も大事に売ることで出版関係、一部読者からは注目されていたものの、まだ全国展開していたわけでもなく、店舗も兵庫県と京都市にしかなかった。まず狙われるとしたら、もっとメジャーな書店だろうと判断したのだ。

今振り返れば、無責任な回答だった。

「うちが最初に狙われることもない」には、何の根拠もない。リスク回避を第一に考えるなら、『悪魔の詩』を書棚から外すのが、妥当だっただろう。確か紀伊國屋さんも、書棚から外して、問い合わせた客にのみ販売するようになったと記憶している。

だが、ぼくたちは、派手に展開したわけではないが、書棚から外すことは選ばなかった。事件が起こって話題になるのは間違いないから、売れる本は売れるだけ売ればいい、と思ったわけではない。「書棚から外す」という行為に、書店員として大きな違和感を持ったからだ。

その理由を明確に説明するだけの思考は経ていなかったので、直感的な違和感というべきだろうが、「ある本を外す」という選択肢は、書店員として最後のものであり、十分な理由を必要とするものに思えたのだ。

つまり、「本を外す」とは、例えば「どちらが安全か?」というような比較計量とは違う何か、絶対的な確信を必要とする行為と感じていたのだと思う。だがそのときには、漠然と感じたその思いを明確に言語化する作業には至らなかった。

オウム出版の本の販売時のような、「理論武装」には至らなかったわけだ。結果的に、『悪魔の詩』に関して、書店現場では特に大きな事件は起こらなかった。

『イスラム・ヘイトか、風刺化か』をめぐって

約4半世紀後、書店は再びイスラム関係で、「本を外す」かどうかの決断を迫られる。

2015年1月7日11時30分、フランス・パリ11区の週刊風刺新聞「シャルリー・エブド」の本社にイスラム過激派テロリストが乱入し、編集長、風刺漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害した。

「シャルリー・エブド」は、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、世界各地で発生したテロ事件を批判、ムハンマドの画を含む風刺画を掲載、特に2006年にデンマークの日刊紙「ユランズ・ポステン」に掲載されたムハンマドの風刺画を転載して以降、イスラム教徒の反発を招くようになっていた。

言論に対する暴力行為を批判する声は、フランス国内はもちろん、ヨーロッパ諸国を中心に世界中で湧(わ)き上がり、日本でも2月には、第三書館から『イスラム・ヘイトか、風刺か』が刊行される。

『イスラム・ヘイトか、風刺か』には、「シャルリー・エブド」に載った風刺マンガが、一部ボカシを入れながら、数多く転載されていた。そのため、イスラム過激派の報復を恐れて、在庫を入れなかったり、店頭には並べなかった書店も多かった。

当初、社内外からの明確な規制があったわけではなく、丸善ジュンク堂書店でも各店判断であったので、ぼくらの店(ジュンク堂書店難波店)では、新刊到着と同時に、店に出した。ぼくたちの仕事は、やってきた本を店の書棚に並べることであり、それらの本の評価や批判をすることではない。

ある本を店頭に置くか置かないかの選択は、個々の書店の判断による。その本の内容と、店長や書店スタッフの信条、その書店の規模や立地条件、客層などをつき合わせて答えを出せばよい。

ところが、このときは、珍しく横槍(よこやり)が入った。取次の大阪屋から要請があったので、『イスラム・ヘイトか、風刺か』を返品せよとのメールが送信されてきたのだ。

ぼくはすぐに「刊行出版社からの連絡や司法関係からの指示もなしに、取次が商品の返品要請をするなど、聞いたことがない。憲法第21条をご存知? と問いたい」と返信し、第三書館に追加出荷を依頼する注文書を送った。

取次からの返品依頼に素直に従う書店も多いだろうと思ったからだ。本は、どこかで買えなければならない。その後、取次や営業本部から、指示や「指導」は、なかった。

もちろん、その時も、危険がまったくなかったわけではない。現に、「シャルリー・エブド」は襲撃され、12人もの人が殺害されている。だが、『イスラム・ヘイトか、風刺か』は、『悪魔の詩』とは違う。ムハンマドを中傷したり、イスラム教徒を誹謗する本ではない。刊行後、ぼくはすぐに読んだからそのことをよく知っていた。

薄い本だから、拡販しようとする人も書店の店頭での販売に反対する人も、ちゃんと読んでみればよいのに、と思った。もしも、書店現場に返品を指示した人たちが読みもせずにそうしたのなら、それこそ職務怠慢、というより本への「冒瀆(ぼうとく)」である。

『イスラム・ヘイトか、風刺か』は、「シャルリー・エブド」並びに事件後パリで展開されたデモに参加した人たちが「出版の自由」を金科玉条とする姿勢に反論し、「シャルリー・エブド」をイスラム教に対する「ヘイト本」(実は攻撃の手はイスラムだけではなく、キリスト教にも伸びている)として批判している、あえて言えば「イスラム寄り」の本なのである。

報復を恐れて外したら

繰り返すが、ある本を店頭に置くか置かないかの選択は、個々の書店の判断による。この本を置かなかった書店の店長や担当者の判断をとやかくいう気はまったくない。「万が一」でも避けたい気持ちは、よく分かる。

東京駅の真ん前の書店で、「テロ事件」が起こったりしては、大変である。

池袋の店では、イスラム教徒の人々が店長を訪れ、『イスラム・ヘイトか、風刺か』に転載された「シャルリー・エブド」の風刺マンガがいかに自分たちの信仰を侮辱(ぶじょく)し、心を傷つけるかを切々と語ったらしい。それを聞いた店長は、テロの危険うんぬんよりも、イスラム教徒の人たちの心情を察して、店頭には並べなかったと聞いている。それも一つの判断であり、批判したり横槍を入れたりするつもりはない。

だが、おそらくぼくなら違った対応をしただろう。もしも自店をイスラム教徒の人たちが訪れ、同じように訴えられたら、ぼくは次のように返そうと思った。

「私も読みましたが、確かに転載された風刺マンガは酷(ひど)い。イスラムの信仰者の方々の怒りは、分かります。しかし、『イスラム・ヘイトか、風刺か』は、明らかに『シャルリー・エブド』を批判しています。その主張の方向は、あなたたちと同じです。

それに、フランスでの事件を知った本屋が報復を恐れてこの本を置くのをやめるということは、日本にいらっしゃるイスラム教徒の方々を、『シャルリー・エブド』を襲撃し12人もの命を奪った過激派と同一視することになりませんか?

私はイスラム教徒ではありませんし、研究したり勉強したりしたわけでもない。『コーラン』だって一度も読んだことはなく、イスラム教を理解しているとは、到底言えません。しかし、世界で最も多くの人が信仰しているイスラム教が、平気で人を殺(あや)める教理を含んでいるとは思えません。

せっかくお越しいただいたのですから、こちらからお尋ねしたいと思います。イスラム教とは、気に入らない出版物を出した奴らは殺してしまえ、というような教えなのでしょうか? あなた方は、そのような教えを信じていらっしゃるのでしょうか?

多くの日本人は、イスラム教についてほとんど、あるいはまったく知識がありません。

〈9.11〉や今回の『シャルリー・エブド襲撃事件』を通じて、また『イスラム国』についての知識から、『イスラムは怖い』という感覚的な印象だけを持っています。

今日本全国の書店がイスラム教徒の報復を恐れて、この本を棚から外したら、やはり『イスラムは怖い』んだという風評が、さらに強固なものとなって広がってしまうのではありませんか?」

その問いを発する機会はなかった。そして、『イスラム・ヘイトか、風刺か』を店頭で販売し続けたぼくらの店が襲撃されることも、なかった。

知ろうとする人が訪れる場

ぼくが生まれ育った神戸市には、日本で初めて建てられたイスラム教寺院、神戸ムスリムモスク(Kobe Muslim Mosque)がある。元々神戸は、港湾都市、国際都市として、外国人と出会うことが珍しくはない土地だ。

ヒジャブを着けたイスラムの女性たちも、しばしば目にしていた。何がきっかけだったのか、いきなりイスラム教徒となって1日5回の礼拝を欠かさなかった高校時代の友人もいた。

2009年に開店したジュンク堂書店難波店の店長に着任したぼくを襲った「非日常」にさして動揺しなかったのは、生まれ育った環境と経験のおかげだったかもしれない。

「店の隅のところで、布を敷いて礼拝のようなことをしている女性がいます!」

慌てた、ひょっとしたらかすかな恐怖も混じった表情で、ぼくに報告してきたスタッフがいた。27年余の書店経験を持っていたぼくにとっても、初めてのことだった。

流石(さすが)に驚きはしたが、すぐに「そういうこともあるかもしれない」と思えたのは、聖書、仏典、コーランをはじめ、様々な宗教書を扱う人文書担当が長かったからかもしれない。

1日5回の礼拝を欠かさなかった高校時代の友人の存在も大きかったか?

『劇場としての書店』(新評論)などという本も書いて、書店を非日常の空間にすることへの志向が強い変わった書店員であったぼくは、いささかの歓(よろこ)びさえ感じながら、現場に向かった。

いでたちと礼拝の様子から、それがイスラム教徒の女性であることは、すぐに分かった。

「礼拝が終わるまで待とう。そのあと、話をする」と、ぼくは報告者に告げた。

間もなく礼拝を終えた女性が立ち上がった。すぐに、ぼくは声をかけた。

「いらっしゃいませ。店長の福嶋と申します。私は、イスラム教徒ではありませんし、特に信仰している宗教もありません。が、宗教に対する興味と、信仰を持つ人たちへの敬意は持っています。ですから、ここで礼拝をされていたお客様を、非難するつもりはまったくありません。むしろ貴女が戒律を守る姿勢を尊敬します。

ただ、日本では、書店を含めて商店の中で礼拝をするというのは、一般的ではありません。来店されている他の人たちも奇異の目を注ぐでしょう。だから、これは店長からのお願いとして聞いていただきたいのですが、以後、店内で礼拝することは、差し控えていただけませんでしょうか?」

女性は、少しばかり残念そうな、怪訝(けげん)な表情は走らせたが、ぼくのお願いに抗することなく、店を出た。

他者を知ることが大事だと思う。少なくとも、知ろうとすることが。他者を知ることを助けてくれるのが本であり、書店は知ろうとする人が訪れる場所でありたいと思う。

『それでも、私は憎まない』と『「イスラム国」よ』

ぼくがイスラム教徒との架空の対話の中で「イスラム教は決してテロの宗教ではないはずだ」と語ったり、店頭で礼拝を始めたイスラムの人に落ち着いて接することができたのは、本を通じていくらかはイスラムの宗教や社会についての知識を持っていたからだ。

「たとえイスラエル人全員に復讐(ふくしゅう)できたとして、それで娘たちは帰ってくるのだろうか?憎しみは病だ。それは治療と平和を妨げる」

「わたしが言えるのはこれだけだ―死ぬのはわたしの娘たちで最後にしてほしい。この悲劇が世界の目を開かせて欲しい」

イスラエル軍の砲撃によって三人の娘と姪(めい)を一瞬にして殺されたパレスチナ人医師イゼルディン・アブエライシュのことばである(『それでも、私は憎まない』イゼルディン・アブエライシュ著 亜紀書房)。

アブエライシュは、パレスチナ人の難民キャンプに住みながら、エルサレムの病院で医師として勤めている。砲撃に娘たちを奪われながら、イスラエル人への憎しみを封印し、ひたすら治療に務め、平和を希求する。

アブエライシュの存在を知り、とその言葉を読んだとき、ぼくは、宗教的・民族的対立という大雑把な図式の中で、イスラムの人たちを見るのをやめようと思った。

この本をぼくに紹介してくれたのは、アメリカ軍の侵攻・空爆後のイラクをはじめ、中東諸国で医療支援を続ける鎌田實(かまたみのる)医師である。鎌田医師は、『「イスラム国」よ』(河出書房新社)を次のような問いかけで始めている。

「イスラム国」よ、おまえの狙いは何か。

「イスラム国」よ、おまえたちはなぜこれほどまでに残虐なことをするのか。おまえはどうやって生まれてきたのか。

「イスラム国」よ、どこへ行こうとしているのか。何をしようとしているのか。

「イスラム国」を単なる過激派テロ集団と見ている目からは、この問いかけは出てこない。イスラムの人々の間で医療支援を続けながら、喜捨という美しい言葉、習慣を持ち、いつも親切で温かいイスラムの人々と接してきたから、「イスラム教は人に親切にすること、優しくすることを教えている。人を脅かしたり国を乗っ取ったりしろなんて、経典にはありません」という彼らの言葉を聞いてきたから、出てくる問いかけである。

2021年9月28日更新 (次回更新予定: 2021年10月25日)

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