言論のアリーナ

第19回 歴史戦、思想戦、宣伝戦

本コラムの筆者・福嶋聡氏は、40年近くにわたり、書店の棚を通じて言論や時代の変化を見続けてきた。そこからは、いくつもの著書も生まれた。書店の棚にはどんな役割があるのか、書店員は何ができるのか。その自問自答から導きだされた帰結が「書店は言論のアリーナである」だった。「言論のアリーナ」の40年を振り返り、そこに登場してきた数々の本や書店の果たしてきた役割を見つめなおし、「これからの本と書店」を考える。

「終わってもらっては困る」

2022年7月8日、安倍晋三元首相が奈良での選挙応援演説中に狙撃され、落命した。

昼過ぎにその報(その時点では「心肺停止」だった)に接したぼくを纏(まと)ったのは、怒り、悲しみなどの感情が入り込まない「虚脱感」だった。

『世界』2022年9月号(岩波書店)に「冥福の祈りを邪魔しているのはだれだ?」を寄稿した朝日新聞編集委員の高橋純子は、「事件の一方に触れたとき、お腹の底からじわじわと、これまでに経験したことのない種類の恐怖がせり上がってきた」と書いた(p29)。

語感は違うが、彼女の「恐怖」とぼくの「虚脱感」は、同質のもののように感じた。高橋は次のように書いている。

「とにかく、なんとしても生きてほしいと願った。こんなかたちで終わってほしくない。終わってもらっては困るのだと」(同p29)

その願いが届かなかったことを知り、彼女は「心から哀悼の意を表す」。

だが、これは在位期間の最長記録を作った元首相の事績を評価し、人物を尊敬しての言葉ではない。高橋は先の「恐怖」を、「このようなかたちで命が奪われてしまえば、氏はいわば『神格化』され、批判めいたことが言えなくなってしまうのではないかという暗い予感からくる恐怖」と説明しているからだ(同p29)。

背後から狙撃するという行為は、卑劣で許しがたい。いかなる動機が述べ立てられようと、その行為を弁護するつもりは、ない。命を奪われた一人の人間への哀悼の気持ちは、ぼくも共有する。だが一方、「このまま終わってもらっては困る」のだ。

安倍は、首相在任最長記録とともに、多くの負の遺産を置き去りにした。それらを一つひとつ検証する必要がある。高橋が危惧する通り、彼の事績を批判することはある方面からの、あるいは想像以上の多数からのバッシングを浴びるだろう。

「死者に鞭(むち)打つな」と。

だが、批判の意図は「鞭打つ」ことではない。負の遺産を清算することにある。

荼毘(だび)に付された死者を「鞭打つ」ことはできない。現実には批判の矛先は、負の遺産の形成に関わった人たち、負の遺産の恩恵を被り、その恩恵をぜひとも継承したいと考える人たちに向かう。そしておそらくは、そうした人たちが、亡くなった安倍元首相を盾(たて)として、自己保身のために批判を封じ込めようとするのだ。

『世界』2022年9月号は、緊急特集「元首相銃撃殺害 何が問われているか」を立てることによって、くしくも従前より用意されていた「歴史否定論 克服は可能か?」との二大特集の号となった。「くしくも」というのは、安倍元首相は、「歴史否定論」とも深く関わっていたからである。

歴史修正主義と歴史否定論

ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺=「ホロコースト」を否定する言説は、「歴史修正主義」ではなく「歴史否定論」と名指しされ、法的罰を受ける。それは、今日的・将来的な政治目的が要請し生み出される言説を、新資料や新しい見方によって過去の歴史観に修正を加えることこそを目指す歴史学的な営為(えいい)から、峻別(しゅんべつ)するためである。

『世界』はその「歴史否定論」という名を、「南京(ナンキン)大虐殺はなかった」「強制された従軍慰安婦はいなかった」という、日本では通常「歴史修正主義」と呼ばれる言説に、強い糾弾と告発の意を込めて、被(かぶ)せたのである。

「1995年6月9日、第132回国会の衆議院で『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議案』が提出され、賛成多数で可決されました。(中略)1993年7月18日の第40回衆議院議員総選挙で国会議員に初当選した、一年生議員の安倍晋三(当時40歳)を含む260人の議員は、この決議案への反対を唱え、採決を欠席しました」(山崎雅弘〈やまざきまさひろ〉『歴史戦と思想戦』集英社新書、p113-115)

村上富市(むらやまとみいち)内閣が提出した「この決議案」では「大日本帝国時代に自国が行った植民地支配や侵略的行為、アジア諸国民に与えた苦痛などへの反省」が唱えられていた。

時を同じくして1990年代前半に登場した日本の「歴史修正主義」に親和的な安倍の姿勢は、政治家としてのキャリアの最初から最後まで、一貫して変わらなかった。それは、この30年間の時代の、特に近隣国との外交関係の膠着(こうちゃく)と並行している。

30年と言えば、明治維新から20世紀の到来までに当たる。1959年生まれのぼくの世代では、高校2年のときに、太平洋戦争終戦時に思いを馳(は)せるときに飛び越えなくてはならない年月だ。それはぼくにとって、「遥(はる)か昔」を思う作業であった。それらに比べ、直近の30年の、時代の動かなさはどうか?

外交関係の膠着は、主に20世紀前半期の日本がアジア諸国に対して行ったことについての、日本とアジア諸国との間の認識の違いによって立ちはだかる大きな壁に由来する。そして、その大きな壁は、日本国内の、片側には「歴史修正主義者」や「ネット右翼」をはじめ、かつての日本の「戦争犯罪」「侵略」を認めようとしない「歴史否定論者」が陣を張る壁と呼応している。

その壁には一寸の「すき間」(議論の余地)もなく、「歴史否定論者」らと、彼らを批判する人々とは、対話の緒も見出せないでいる。

本質は少しも変わらぬが、新しい相貌(そうぼう)もある。

産経新聞社政治部編集委員の阿比留瑠比(あびるるい)は、『歴史戦』(産経新聞出版)の序章で「戦後、すでに70年近くがたった。もうそろそろ、日本は本来の歴史を取り戻す『歴史戦』に打って出てもいいのではないか。歴史問題を持ち出されると、条件反射的に謝罪を繰り返してきたこれまでの日本のままで、本当にいいのだろうか(『歴史戦』p23、『歴史戦と思想戦』p9で引用)と書いている。

すべての侵略行為を「自衛」とする、近現代のすべての戦争と同じく、「歴史戦」もまた、最初に仕掛けたのは敵方だと主張する。

西岡力(にしおかつとむ、歴史研究者)は、「中国共産党が1990年代初頭、国内での反日教育の徹底を決定すると同時に、南京事件と慰安婦問題を材料に、『日本が第二次世界大戦期にホロコーストをした』という反日国際キャンペーンを進めることに決めた、(『正論』2013年5月号p64-65、『歴史戦と思想戦』p47で引用)と述べている。

21世紀の「歴史戦勝利」を目指す阿比留や西岡らの戦法は、慰安婦問題を巡って燃え上がった1990年代時点と変わらない。例えば南京事件について、「犠牲者30万人という中国側の主張の信憑(しんぴょう)性」を論(あげつら)い、それとは次元の違う「南京で日本軍人が中国人の市民や捕虜を虐殺したか否(いな)か」とを結び付け、前者を根拠として後者ももろともに否定し、「南京大虐殺はなかった」という、受け手を間違った方向へ誘導するミスリードのテクニックを頻用する。

国策としての思想戦、宣伝戦

『歴史戦と思想戦』で山崎雅弘は、さらに時代を遡(さかのぼ)り、「産経新聞などが展開している『歴史戦』は、先の戦争中に日本政府が国策として展開した『思想戦』や『宣伝戦』の継続なのではないか」と指摘する。

「陸軍省軍事調査部の『思想戦』は、満州事変の原因となった『支那(しな)軍閥の反日的態度』について、列国、つまりイギリスとアメリカが裏で糸を引いて展開する『対日包囲攻勢』の一環であると見なしていました」(『歴史戦と思想戦』p147-148)

ここでも、まず「戦い」を仕掛けてきたのは英米であり、日本は自衛のために「しかたなく」「思想戦」を始めたことになっている。「しかたなく始めた思想戦」について、初代の内閣情報部長横溝光暉(よこみぞみつてる)は次のように説明している(いずれも『歴史戦と思想戦』p150-153での引用)。

「俗に宣伝戦と申しまするものは、思想戦の技術的な部門に過ぎませぬ。しかしながら、それが極めて大きな部門でありますがゆえに、ややもすれば思想戦すなわち宣伝戦であるかのごとくに考えられるようになったのであります」(内閣情報部『思想戦講習会講義速記』第一輯p4)

「従来宣伝という言葉はあまり芳しい感じを与えておらない。ややもすればことを針小棒大(しんしょうぼうだい)に吹聴(ふいちょう)する、あるいは白を黒と言いくるめるというような、(中略)何となく悪い意味のように考えられているのであります」(同p2)

「しかし、宣伝ということはそれ自体、決して少しも邪道的なものではないのでありまして」(同p3)

「日本人はとかく自分の行動が正義でやましくなければ、自ら言わなくとも自然にわかっておると思っておりますが、自ら大いに言わざれば、誰も周りの人は変わって言うてはくれないのであります。(中略)ここに思想戦の大きな技術的の部門として宣伝ということの必然性を痛感せざるを得ないのであります」(同p8-9)

宣伝が、そして「思想戦」が「針小棒大な吹聴」で、「白を黒と言いくるめる」ことを、はしなくも自ら暴露している腰砕けの演説と言っていい。このような欺瞞(ぎまん)が、他国に通用するはずがない。だが、日本の「思想戦」は、むしろ国内で成果を挙げた。太平洋戦争の時期、多くの国民は「大本営発表」を鵜呑(うの)みにし、長く戦争に勝利することを疑わなかった。メディアも、追随した。1937年7月7日、近衛首相官邸で緒方竹虎(おがたたけとら)は講演で次のように述べた。

「事変と共に国がいわゆる戦時体制をとりますと、新聞もまた戦時体制の中に入って、いわゆる国策の線に沿うてあらゆる犠牲を忍び、できるだけの協力を政府に向かって払っておりますることは、皆さんご覧くださっておる通りであります。これは別に、政府の強制をまって然(しか)るのではなく、新聞自体が自発的に、きわめて闊達(かったつ)な気持ちで活動をいたしておるのでありまして、この形におきまする思想戦は、事変の終わりまするまで、事変が終わりましても、どこまでも遂行していかなければならぬものであると考えております(内閣情報部『思想戦講習会講義速記』第四輯p42-43、『歴史戦と思想戦』p157での引用)。

「社会の木鐸(ぼくたく)」たる新聞の使命を放棄したようなこの言葉を、少し前まで軍部と激しく対立した東京朝日新聞で主筆として活躍し、戦後には吉田茂と総理大臣の座を争った緒方竹虎の発した事実に、ぼくはショックを受けた。

「挙国一致(きょこくいっち)体制」が国中を席巻(せっけん)し、多くの国民の思考が国や軍部のそれと一体化してしまったのである。一体、それは何故(なぜ)なのか?

「これ、今の日本でも同じだよね」

山崎は、『未完の敗戦』(集英社新書)で、文部省が1946年5月15日に発行した『新教育指針』を引いている。そこに、今の問いの答えがある。

「軍国主義者や極端な国家主義者は、個人主義を利己主義と混同して、全体主義の立場から個人主義を非難し、個性を抑え歪めたのであるが、そのような全体主義こそ、かえって指導者の利己主義や国家の利己主義にほかならなかった。
個性の完成が社会の秩序を乱し、全体の団結を崩すように考えるのは、個性の完成ということの本当の意味を知らないからである。個性を完成するというのは、ひとりぼっちのわがまま勝手な人間をつくることではない。かえって個性とは社会の一員としての人間が、その地位において、その役割を果たすために必要な性質を意味する」(文部省『新教育指針』、『未完の敗戦』p205での引用)

戦後すぐの文部省は戦前・戦中の日本を振り返り、このように総括して、そうではない未来の日本を構想する誠実さと率直さを持っていたのである。『新教育指針』が総括する、それまでの日本人の特徴を、山崎は整理して5点にまとめる(同p180)。

(1)日本はまだ十分に新しくなりきれず、古いものが残っている。

(2)日本国民は人間性・人格・個性を十分に尊重しない。

(3)日本国民は、批判的精神に乏しく、権威に盲従しやすい。

(4)日本国民は、合理的精神に乏しく、科学的水準が低い。

(5)日本国民は独り善がりで、大らかな態度が少ない。

そして、山崎は言う。

「『これ、今の日本でも同じだよね』と感じられる点が多かったのでは?」(同p191)

その通り、日本国民は、敗戦によって変わっていない。そのことを山崎は「未完の敗戦」と呼んだ。

「上の者が権威をもって服従を強制し、下の者が批判の力を欠いて、わけもわからずに従うならば、それは封建的悪徳となる。事実上、日本国民は長い間の封建制度に災いされて『長いものには巻かれよ』という屈従的態度に慣らされてきた(『新教育指針』、『未完の敗戦』p272での引用)。

「封建的な心持ちを捨てきれぬ人は、自分より上の人に対しては、無批判的に盲従しながら、下の者に対しては、独り善がりの、威張った態度でのぞむのが常である。そして、独り善がりの人は、自分と違った意見や信仰を受け入れるところの、おおらかな態度を持たない。日本国民のこのような弱点は、最近特にいちじるしくなった(『新教育指針』、『未完の敗戦』p277での引用)。

最後の部分の「最近」は、戦争直後当時ではなく、それから77年が経った今日のことだと言われても、ただただ首肯(しゅこう)せざるを得ないだろう。

当時の文部省は、自国民の性向を反省し、それらを克服して新生すべく、1948年に中高生向けの教科書教科書『民主主義』を編んだ。そこには、次のようにある。

「政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義を本当に理解することはできない。政治上の制度としての民主主義はもとより大切であるが、それよりももっと大切なのは、民主主義の精神をつかむことである。(中略)それは、つまり人間の尊重ということにほかならない」『民主主義』、『未完の敗戦』p223での引用)

「民主主義」とは、「つまり人間の尊重」。簡潔で見事な定義だ。だが、先の山崎の言い回しを借りれば、「これ、今の日本でも全然実現していないよね」である。

『未完の敗戦』の帯には、赤地に薄墨で書いたような「コロナ対策」「東京五輪」「ハラスメント」「低賃金」「長時間労働」という文字が浮かび上がり、白字で大きく「この国は、なぜ人を粗末に扱うのか?」とある。

山崎はこの一文を、むしろ本タイトルにしたかったのではないかとも思う。東京五輪についていえば、強行に多くの国民の反対があったにも拘(かかわ)らず、大手メディアが政府の方針に追随し、開催を当然のように報道し続けたことも、先に引用した緒方竹虎の講演が証している太平洋戦争時のあり様と変わらない。

「戦後民主主義」は決して達成されず、先の戦争に対する反省も一時のものに過ぎなかった。だからこそ今、内外の批判の声には耳も貸さず、多くの兵士を死に追いやった軍人たちが祀(まつ)られ、遂にはA級戦犯さえ合祀(ごうし)されている靖国神社に、閣僚たちが涼しい顔で参拝するのだ。

「彼らはいつも、靖国神社の『英霊』に対して『不戦の誓いをした』(中略)などの決り文句を、メディアに報じてもらうことを意識しながら、記者団に語ります」(『未完の敗戦』p157)

それに対して山崎は、「なぜ安倍晋三らは、戦争で『死んだ軍人』にだけ不戦を誓い、『生き延びた元軍人や市民』には誓わないのか? 考えられる答えは、生き延びた元軍人や市民は『自分の考えを発言することができるから』というものです」(同p159)

だが、それもまた〈買い被り〉かもしれない。

彼らの「不戦の誓い」の欺瞞を批判する声が、市民の間から今上がっているか?

「集団的自衛権」を自らに認める、いわゆる安保関連法を成立させたのが誰だったか、知っているのは国民のうちどのくらいの割合の人たちか?

さらにその何パーセントが、今もそのことを批判しているのだろうか?

「暗い予感」の正体

2022年7月8日、安倍元首相が狙撃されたという衝撃的なニュースで、狙撃者が元自衛官らしいと聞いたぼくは、その事実が妙に腑(ふ)に落ちていた。安保関連法は、海外での戦闘に自衛官を駆り立てる法である。自衛官の中には、それまでの制限を窮屈に思い、安保関連法の成立を意気に感じて言祝(ことほ)いだ人もいたかもしれない。

だが一方で、「そんなつもりで自衛隊に入ったのではない」という人もいただろう。「専守防衛」を信じ、万が一のときは国を、国民を守るが、平生は災害時などの人命救助に生きがいを感じていた人たちにとって、「安保関連法」の成立は、心外この上ないものであった可能性はある。それが、狙撃の大きな動機だったとしたら……。

その後、山上容疑者の取り調べが進み、「統一教会」への恨みが動機であるとの見方が強くなり、自民党所属議員の「統一教会」との関係が次々と明らかになっていく。ぼくの「腑に落ち」は、完全な見立て違いだった。

山上容疑者の自衛隊入隊(2002年)、退職(2005年)の時期を見ても、安保関連法を動機と考えるのは無理筋だろう。ただ、その見立てを、ぼくの「腑に落ち」方を、完全に捨て去ろうとは思わないのだ。

山上容疑者の供述を、ぼくらは直接聞いたわけではない。警察発表を、メディアが伝えたものであるに過ぎない。そして、容疑者自身が本音を述べたかどうかも分からないし、容疑者自身が本当の動機を自覚していない可能性も皆無ではない。

もちろん、そこまで疑ってしまっては「何がファクトか?」という設問じたいが危ぶまれるが、そうした「供述」の伝え方、「供述」に対する反応・対応については、十分に注意をしなければならないと思う。

中野昌宏(なかのまさひろ、社会学者)は、「当初『安倍元首相が統一教会と近いと思い込んで』といった、実際には関係ないかのような表現で報道が反復され」たことを指摘、「安倍氏を対象としたのはお門違いだとか、自民党と統一教会のつながりなど特別なものではないといった、両者の関係を過小評価する識者が多く現れた」ことを問題視している(『世界』2022年9月号p42)。

容疑者本人が「思い込んで」と語ったとは考えられない。狙撃の前後で、その認識が変わる要素は一つもないからだ。報道の文言には、明らかにあるバイアスがかかっている。

ところが、岸田首相の号令のもとで調査が進むと、多くの政府閣僚や自由民主党の政治家の統一教会との関係が明らかになっていく。報道は、政治と「統一教会」の癒着問題一色となり、一国の元首相の殺害という重大事さえ霞(かす)んでいった。かなり穿(うが)った見方をすれば、それもまた、推進した政府首班の思惑が入っていたのではないか?

すなわち、「統一教会」を前面に押し上げ、安倍首相の死後に残された諸々の問題――「モリカケ問題」「桜を見る会」「新型コロナ禍対策の評価」「東京オリンピック強行の是非」「安保関連法制」などをその陰に隠してしまおうという算段である。

本稿の冒頭で引用した、高橋純子の「『神格化』され、批判めいたことが言えなくなってしまうのではないかという暗い予感」は、このことに対する予感ではなかったか?

歴史家、出版社、書店の仕事

これらの問題は、確かに安倍元首相が関わっている問題であるが、一方彼一人で行ったことではない。多くの関係者はまだ存命であり、権力の中枢近くにいる者も少なくない。その人たちにとって、もろもろの問題が「統一教会」の陰に隠れてしまうことは、とてもありがたい。ただ、「統一教会」と自民党の癒着が存外深く、内閣支持率の急落とともに政局運営の困難を招いてしまったのは、岸田首相の計算違いだったか? 「理性の狡知(こうち)」か?

安倍元首相やその周囲の言説とその影響を想起すれば、日本の「歴史否定論」も積み残された大きな問題の一つと言えるだろう。

「言論のアリーナ」(第15回 アイデンティティがもたらすもの)でご紹介した『歴史修正主義』(中公新書)の著者武井彩佳(たけいあやか)も、『世界』2022年9月号に「歴史否定論と陰謀論」という文章を寄稿している。そのラストの部分で武田は、「複眼的・重層的な歴史研究と、外交的な『歴史戦』に勝つために用意された単線的な歴史は、質・意義ともに同じではない。中には学術的・教育的な実績を無に着させるような、悪しき言説もある。このため歴史的記述の基準に満たないものは、それとして名指しする必要があるだろう」とし、続いて「では誰が名指しするのか」と問い、すぐに自答している(p140)。

「これが歴史家の仕事であるのは明らかだが、同時にそうした言説の流通の媒体となっているメディアの仕事でもあるだろう」(同p140)

新聞・テレビといった大手メディアはもちろん、言説の乗り物を製作している出版社も、そして「流通の媒体」たる書店もまた、そうした任を担うべきメディアである。

2022年9月26日更新 (次回更新予定: 2022年10月25日)

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