言論のアリーナ

第27回 「動かぬ証拠」としての書物

本コラムの筆者・福嶋聡氏は、40年近くにわたり、書店の棚を通じて言論や時代の変化を見続けてきた。そこからは、いくつもの著書も生まれた。書店の棚にはどんな役割があるのか、書店員は何ができるのか。その自問自答から導きだされた帰結が「書店は言論のアリーナである」だった。「言論のアリーナ」の40年を振り返り、本や書店の果たしてきた役割を見つめなおし、「これからの本と書店」を考える。

「ヘイト・クライム」立件の難しさ

なぜ、人を洗脳するかもしれないヘイト・スピーチ、ヘイト言説の内容に向き合うことが、それらへの反撃の糸口になるのか? なぜ、それらをコンテンツとする本が並べられた書店の棚が、その風景こそ差別攻撃の対象となっている人たちを傷つけるリスクを孕(はら)むにもかかわらず、ヘイトと向き合う場でなければならないのか? 敵の武器を逆に敵に向かわせることが、どうして可能なのか? 本という武器は、どのように敵にとっての両刃の剣となるのか?

刑法38条1項に、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」とある。「故意」は、犯罪の成立要件の一つである。つまり、ある行為が他者を害する意図をもってなされたかどうかが、犯罪成立→有罪→処罰の条件である。

「ヘイト・クライム」成立の一つの条件は、その発言や行為が、在日コリアンをはじめとする被差別者を害する意図があったかどうかにある。さんざん相手を誹謗(ひぼう)し、相手の存在を貶(おとし)めておいて、「害する意図はなかった」というのは通らない。だが、現実には、加害の意図を明確にすることは、難しいかもしれない。「韓国や中国という国や歴史、日本に対する悪感情、行動を批判したが、今『被害者』であると訴えるこの人を害する意図はなかった」という弁明を覆すことは、難しいかもしれない。

だが、刑法38条1項の条文には次の一文が続く。

「ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りではない」

つまり、「犯罪が成立するためには、普通、故意が犯人に必要なのですが、例外的に、過失致死罪など、法律にそれと違う特別の定めがある場合には、犯人に過失があることでよい」(岩波新書『刑法入門』山口厚p103)。

おそらく、その制定が待たれる「反ヘイト法」にも、「過失」を罪とするという「特別の規定」は必要だろう。

「ヘイト・スピーチ」を繰り返す側は、それが誰かを傷つけることには無頓着で(それゆえ、「そこに目的はない」と言い張るだろう)、自らの言説が、騙(だま)されている日本国民を覚醒させる真実であると信じているケースが多いからだ。ときにはその言葉を聞かせて覚醒させたい日本国民も巻き込んで、むしろ自分たちこそ被害者であると、それも確信をもって主張しながら。彼らにとっての「真実」が、いかに被差別者を害しているかを、まったく理解していないこと、想像すらしていないことの方が多いのではないだろうか? その場合、「故意」を証明することは困難であろう。「故意」にこだわることは、「ヘイト・スピーチ」が悪質であればあるほど誰かを害するための「故意」的な行為ではなくなる、という逆説的な結果を呼び込んでしまうかもしれない。だから、「反ヘイト法」には「過失」規定が不可欠なのだ。

「故意」ではなく「過失」を処罰の根拠とするときには、被疑者の意図はもはや問題ではなく、発せられた、あるいは書かれた言説そのものの差別性の証明が重要となる。「ヘイト・クライム」を立件し裁判において有罪を勝ち取るには、その言説のどの部分が被害者を害するものになっているかを明確に指摘し、その加害性を説得的に証明しなくてはならないだろう。それは、想像以上に骨の折れる仕事かもしれない。

「敵」の存在をあきらかに

インターネット時代となり、誰もが、自らの意見を簡単に公の場に書き込むことが可能になった。「簡単」な分だけ、内容が軽くなる。匿名可能な分だけ、内容に無責任になる。やりようによっては収入源ともなるので、多数の耳目を引くため、派手になり過激になる。

書いた本人もそれを自覚しているのか、「ヘイト・クライム」だけでなく、政治家の「失言」等も含めて、批判されるとすぐに削除されることも多い。曰(いわ)く「本意ではなかった」「誤解を生じさせるような表現だった」。サイバー空間では、言葉は間違いなく軽くなった。そんな軽い言葉が、被害者にとっては重くのしかかる、鋭い刃をともなった言葉であることももちろん多い。

それゆえの「反ヘイト法」であり、「過失」責任を問うことが重要である所以(ゆえん)なのだが、いかんせん、すぐに消されてしまう軽い言葉に重い責任を負わせることは、感覚的に難しいかもしれない。もちろん、ときに「炎上」し、「炎」がまたたくまに拡(ひろ)がっていくことはあるが、その場合も、尻馬(しりうま)に乗って批判する言葉自体がどんどん軽くなり、多くの場合問題の本質からずれていくことを否めない。

本の場合はそうはいかない。一度印刷・製本され、全国の書店で販売された本をすべて回収するのは難しい。売れて読者の手に渡ってしまった本は、どうしようもない。その分だけ、世に出す前に推敲(すいこう)が重ねられ、編集者等のチェックも入る。「本意ではなかった」という言い訳は簡単には通じないし、著者・出版者の連帯責任も問われる。

いわば、本はネット上の言説に較(くら)べて、著者のより確信的な言説とすることができる、「動かぬ証拠」なのである。そこに差別的言説があれば、著者の差別感情が確定される。差別感情に満ちたものと認定された言説は、よし著者が誰かを害する意図はなかったと弁明しても、人を傷つける言説であったことは否定できないから、「過失」責任を問える。

ネット上の言説も、同じように厳しい目を注がれることがあるだろうが、いわば言説が書物として「モノ」化して消せない分だけ、証拠能力は高いと思われる。

「ヘイト本」を、それと分かっていても店の書棚から外さない理由の一つが、そこにある。せっかく、レイシストが動かぬ証拠を残してくれているのだ。「証拠隠滅」して、どうする!? むしろ、「晒(さら)す」べきではないか? 見たくない本、あって欲しくない本を排除して自らが管理する空間を「無垢(むく)」なものに保つよりも、「敵」の存在を明らかにし、批判して戦うべきではないか。

そこにリスクはある。さっき言った通り、「売れて読者の手に渡ってしまった本は、どうしようもない」。「ヘイト本」はウイルスのように、買って読んだ人の心を侵し、影響を与え、洗脳するかもしれない。少なくとも「ヘイト本」の著者たちはそれを狙い、これまでもある一定の戦果を得てきたから書き続けるのだろう。

それは「変えるべき現実」の放置

主に「左派」論客から、ぼくはそこを突かれてきた。「NO!ヘイト」フェアで、そもそも「ヘイト本」とは何かを具体的に提示するために桜井誠の『大嫌韓時代』を一緒に並べたのを見た人から、「私たちには君の意図はわかるが、問題をよく理解していない人が、そんな本を間違って買って、悪い影響を受けたらどうするのだ!?」と非難された(本コラム第2回)。

「ならば、戦ったらどうだ」というのがぼくの反論である。今言った非難を行う人たちは、歴史や人権についての「専門家」であることが多い。職業が研究者であるかどうかはともかく、「問題をよく理解していない人」ではなく、「ヘイト本」が孕(はら)む問題、「ヘイト本」には虚偽の記載があり人を誤った方向に導こうとする思惑があることを見抜いている人たちであり、だからこそ、否定すべき本としてぼくがそれを展示しているというぼくの「意図をわかる」人たちである。「わかる」のならば、なぜ敵を隠匿せよというのか? その本が悪影響を及ぼす危険を知っているのなら、なぜ戦いを避けようとするのか? 戦いにリスクはつきものだ。打って出れば向こう傷を防ぐことはできない。だが、敵の証拠を隠すことで向こう傷を防ごうとする姿勢こそ、やがて、より大きなダメージの原因となるのではないか。

歴史研究者が、全世紀末に蠢動(しゅんどう)しはじめた歴史修正主義者たちを単にバカにし、彼らの著書について議論するのもバカバカしいと専門家としての責任を放棄したときにどうなったか、すでに「言論のアリーナ」の第4回「歴史修正主義とベストセラー」に紹介した経緯を再録する。

「歴史学がこつこつと積み重ねてきた研究成果や、歴史の授業で教えられてきた知識を執拗に罵倒する歴史修正主義を今日蔓延(はびこ)らせ、一般の人たちにも大きな影響を与えていることの責任は歴史学界にもある」と『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)の編著者の前川一郎は言う。

「歴史修正主義の言動に対する学者や専門家たちの反応は、決して鈍かったわけではなく、学術的見地から詳細なファクトチェックも行われてきた。しかし、それらはともすれば学術誌や専門書に書き連ねるだけの内弁慶的なモノローグに留まり、歴史修正主義が現実に巣食う大衆文化にはまるで突き刺さらなかった。歴史学の専門家にしか通じない議論を内輪で繰り返しているだけでは、学知と社会のあいだには、いつの間にか深い溝を生み出すだけで、今日の問題には向き合えない」と前川は総括・批判する

研究者だけではない、後に『ネットと愛国』(講談社)を書き、インターネットと「ネトウヨ」の関係を鋭く指摘し、「ヘイト・スピーチ」や「ヘイト本」告発の中心的な書き手となる安田浩一でさえ、「週刊宝石」(光文社)編集部にいた1990年代には、「歴史修正主義者をなめてかかっていた」と言っている。

「マルコポーロ事件の翌年に『つくる会』が設立されますが、当時のぼくらはそれを笑ってみていました。『どうせ、トンデモな教科書をつくるんだろう』と言いながら」(安田浩一・倉橋耕平『歪む社会』論創社、p126-127)

こうして最初期に「ヘイト・スピーチ」、「ヘイト本」に正面から向き合わなかったことは、明らかに禍根を残した。

「私たちには君の意図はわかるが、問題をよく理解していない人が、そんな本を間違って買って、悪い影響を受けたらどうするのだ!?」と言う人は、本当に「問題をよく理解して」いると言えるのか? 彼らが問題としている本を読んで、どの部分が事実誤認であり、論理の飛躍であり、誤謬(ごびゅう)推理であると整理できているのか、その上で、「問題をよく理解していない人」に説明し、「悪い影響を受け」ることを防ぐ用意があるのか?

少なくとも、「ヘイト本」の著者たちに誤りを指摘し、考えを改めさせるという発想は皆無であろう。ここ何回かの本コラムで「反ヘイト法」の必要性を論じながら、その法によって断罪する相手の思考を変えさせることが、大きな目的の一つであるべきだと確認してきた。「ヘイト本」を隠し、正面から向き合って批判することを忌避するのは、そのこととは真逆の姿勢であるというべきであろう。

真剣な批判が「ヘイト本」の著者に届く可能性は、決してゼロではない。「お花畑」と言われるかもしれないが、ぼくは、そのような揶揄(やゆ)こそ、変えるべき現実を放置すると思っている。

『ネット右翼になった父』の教訓

ルポライターの鈴木大介は、2019年に亡くなった父との「死後の対話」を『ネット右翼になった父』(講談社)として上梓した。タイトルの通り、鈴木は、晩年の父を「ネット右翼」と見、父と子の対話も拒みがちだった。遺品整理の作業の中、父のノートパソコンに保存された嫌韓嫌中のコンテンツを目の当たりにした鈴木は、父の枕元にあった右傾雑誌を含め、商業化したヘイト出版物が父を偏向させたとの怒りをこめた文章を、父の死後2ヶ月後にWebメディア「デイリー新潮」に寄稿する。

だが、冷静さを取り戻した彼は、父は本当に「ネット右翼になった」のかを、改めて問い始める。「ネット右翼」について書かれた本を何冊も読み込んで「ネット右翼とは何か」を改めて学び、一方で、子ども時代からの父の思い出を想起し、自分自身が聞いた父の言葉を反芻(はんすう)し、母や姉、叔父への聞き取りを続ける中で、父が「ネット右翼になった」という断定がゆらぎ始める。

確かに晩年の父は、「火照(ファビョ)る」「マスゴミ」「パヨク」「ナマポ」などのヘイトスラングを口にしていた。それが、鈴木が父と距離を取り、対話が途絶えがちになり父子の間の溝を深めた原因であり、鈴木に、父の死後すぐに、父が「ネット右翼」となったと断定した文章を寄稿させた所以である。しかし、いくつもの書物によって「ネット右翼」の定義、属性を調べてみると、父には当てはまらないものも多い。靖国(やすくに)神社については、他国からとやかく言われることは否定したもののその是非については語っていないし、「平和憲法」の改憲に絡む発言もなかった。権力の強制を徹底的に拒んだ父は、国旗や国歌を重視することもなく、安倍政権の政策を無条件に奉ったわけでもなかった。

母や姉に対するミソジニー的な言動も、本人たちはそうは受け取っておらず、母は父の生前の、そして闘病生活時の姿勢に、感謝と称賛の言葉を送る。自分の子供時代に受けたと思っていた暴力も、父の愛情表現ではなかったかと思い始める。在職中、あるいは退職後の社会福祉協議会での活動での、ミソジニーとは真逆のエピソードをいくつも聞く。ハングルの合理性に感心したり、退職翌年に中国に語学留学したことも、「嫌韓嫌中」とも相容れない。叔父からは父たちの世代の経験が左翼嫌いにつながったこと、父たちの年代になると意見や性格がどこか頑(かたく)なになることを教えられた。

鈴木は、結論する。

「父は決してわかりやすく価値観の多様性を失ったネット右翼ではなかったし、保守ですらなかった。(中略)父をネット右翼にしたのは、ぼく自身だったのだ」(『ネット右翼になった父』p163-4)

『ネット右翼になった父』は、「ネット右翼」糾弾の本ではなく、鈴木の父との和解の物語であり、赦(ゆる)しの物語なのだ。鈴木の苦悩、格闘を自ら丹念に辿(たど)る物語は、読み応えがある。

だが、このコラムの文脈の中で取り上げたいのは、当初鈴木が父の言動のある部分を言挙(ことあ)げし、出版物やネットの言説による「ネット右翼」化を決めつけたことだ。「ネット右翼」ならば、Cという言動をする。父はCという言動をした、ゆえに父は「ネット右翼だ」という推論は、A→C、B→C、ならばB→Aという誤謬推理であり、こうした安易なラベリングには、大きな危険があるということである。

そして、和解の物語を離れて言えば、鈴木の父の言動は、明らかにマイノリティを傷つける部分を含んでおり、それは彼が「ネット右翼」でなかったとしても免罪すべきではない、ということだ。それは言い換えれば、鈴木があるときから父の言動を嫌悪するあまり、それを糺(ただ)すのではなく、父と距離を取ってしまったことが、父との和解が遅すぎたという教訓である。間違った言動を忌避し、それと正面から向き合うことを回避する姿勢は、決して良い結果を生むことはないのである。

ところで、鈴木は、「3・11を境に、日本人が右と左に分断された」(同p64)と見立てている。「3・11を境に」すなわち福島第一原発事故を境に社会が大きな変化を遂げたことは、社会学者の酒井隆史(さかいたかし)も先頃上梓した『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)で言っている。だが、その変化とは、「右と左に分断された」のではなく、むしろ「逆である」と。2010年代を総括する上で実に説得的で刺激的なこの本の主張を、次回見ていきたい。

2023年5月26日更新 (次回更新予定: 2023年06月25日)

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