気象にノーベル賞があれば間違いなく受賞
「Fスケール」という言葉がある。これは竜巻の強さを表す世界共通の基準で、「F3」とか「F5」などと数字をつけて表す。 実は、このFは、藤田哲也という日本人の名からとったものだ。
藤田哲也の名は、Fスケールの作成者として気象の世界の人間ならだれでも知っているが、一般人にはほとんど知られていない。しかし、竜巻の研究の世界的権威で「ミスタートルネード」と呼ばれ、「もし気象の分野にノーベル賞があるとしたら間違いなく藤田が取っていた」と言われるほど、欧米では有名人である。
いわゆるマルチな天才で、中学生のころには、友人と一緒に鍾乳洞(しょうにゅうどう)を発見して、自分で測量して図を描き、役所に提出したという。これは二人の名前をとって「藤戸洞(ふじとどう)」と呼ばれ、いまでも福岡にあり、地図にも掲載されている。
その後物理を専攻し、1945年に長崎に原爆が落とされた際には被害調査を担当し、爆心地を特定している。そして戦後、「ダウンバースト」に関する研究が認められて、アメリカのシカゴ大学に招聘(しょうへい)され、のちに教授に就任した。
渡米したあとはもっぱらアメリカで気象の研究に打ち込んだため、Fスケールをはじめさまざまな業績をのこしたにもかかわらず、前述のように日本ではほとんど知られていないのである。
著書は1冊、しかも上巻のみ
その藤田哲也の、日本で発売された唯一の著書がこの『たつまき 上』だ。私が25、6歳のころ、東京に出てきたばかりの時代にこの本を買った。ラジオの天気予報を担当することになり、勉強をするために買った本の中の一冊である。
この本は、上巻しか存在しない。下巻は出版社と折り合いがつかず出せなかった、と私は藤田自身の口から聞いた記憶がある。20年以上前、藤田が日本で藤原賞(気象関係で功績があった人に贈られる賞)を受賞した際、気象庁で記念の講演会があり、私も聴講していたのだが、そこでそんなふうに語っていたように思う。
しかしその後、この『たつまき 上』は、藤田本人が書いたのではなく、同じく気象学者の土屋清(つちやきよし)が書いたとのうわさを聞き、土屋本人に事の真偽を訊ねた。
土屋の言では、藤田は「たつまき」の日本語の本を書くつもりで資料などを準備していたが、長いアメリカ生活で日本語での表現が苦痛になり、それでアメリカ出張中の土屋に代筆を願い出たとの事である。そしてその後、下巻を書く段になったが、そのときは土屋も藤田も忙しく、それで下巻が出されなかったというのが、真相のようである。
ちなみに、この本を共立出版に紹介したのは、気象研究者の根本順吉(ねもとじゅんきち)だそうだ。
出版のいきさつはともかく、この本は気象解説者必読の書である。
タイトルどおり、竜巻を科学的に解説した書籍で、専門的ではあるが、一般の人でも理解できるような内容となっている。また、Fスケールを作り出すまでの試行錯誤の物語や、竜巻にまつわるエピソードも書かれている。とくに「たつまきが残したミステリー」という章では、乳搾り中に牛だけが消えた、気がついたら家の屋根がなくなっていた、自宅での夕食中に家ごと飛ばされたが軟着陸し無事だった、など不思議な話がたくさん紹介されていて読み物としても面白い。
また、解説の内容もすばらしく、竜巻と都市気候の関係など、現在の最新の研究で明らかになってきたような知見を、この本ですでに指摘している。
日本でもっと知られるべき人物
この本は、前述のように上巻しかない。また、ほかに藤田の日本語著作は自費出版の自伝作品を除いては一冊もない。研究生活のほとんどをアメリカで過ごしたために、著書や論文のほとんどは英語なのである。日本でほとんど知られていないのは、そのせいもあるだろう。
この偉人がこのように埋もれているのは非常にもったいない。黄熱病研究で世界的に有名な野口英世(のぐちひでよ)や、多数のユダヤ人をナチス・ドイツから救い「日本のシンドラー」と呼ばれた杉浦千畝(すぎうらちうね)のように、世界を舞台に活躍した偉人として藤田哲也という人物を、ぜひ日本の多くの人々に知ってもらいたい。そう考えて本書を取り上げた。
2013年11月1日更新
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