やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第14回 落語鑑賞という没頭体験を予測する

前回は、落語鑑賞に慣れたベテランの観客が、ポイントとなる情報を容易に拾い出すという熟達の一面を論じた。

今回は、観客がどのように落語を見ているのか、その没頭体験を予測することについて述べていく。

見巧者の憂鬱

落語に限らず、演劇やバレエなどを好きになって劇場に通い出し、繰り返し鑑賞するようになると、演者の表現の細かな違いが目に入るようになる。すると、初めのうちは気づかなかった演者の特徴や、演出の傾向の違いもわかるようになる。

落語でいえば、同じ演目を鑑賞したとても、「この噺家(はなしか)は人情味を前面に押し出しているな」とか「あの噺家は滑稽(こっけい)さを引き出している」とか、そういう違いを判然と感じられるようになる。

気が付けば、演出の違いについて一家言持つようになり、仲間内で自然と好みを語るようになっている。

ここまでくると、さも評論家のように表現を細かく分析して、演出がどんな風に生まれているかを考えながら落語を眺めるということが多くなるのではないだろうか。

ただ好きで聴きに行っていたはずの落語会が、いつの間にか評論のための場に姿を変えてしまうのだ。

ただし、この道程は一本道ではない。ベテランの観客がどんなふうに落語を楽しむようになるのかは、道行く途中でいくつにも枝分かれして、じつに多様になっている。どの道に進むのかは観客の感性や性格、世界との向き合い方によるというほかない。

ただ、鑑賞眼を持つようになったベテランの観客は、来し方を顧みて「もっと素直に楽しんでいたあの頃にはもう戻れないのだ」と知って、ふと一抹(いちまつ)の淋しさを覚えるたりするのだ。

没頭体験の重回帰分析

前回(連載第13回)につづき、国際的心理学雑誌Frontiers in Psychologyに掲載された、野村を第一著者とする論文の検証内容を思い出してほしい。前回も述べたように、落語鑑賞のベテランも初心者も、噺を聞きながら理解のために必要な情報を集めているのだが、ベテランには予備知識があるので容易に素早くそれができる。

ベテランはこの余裕を使い、噺を理解するのと並行して演者の特徴や演出の傾向を見て取ることができる。

だが、見巧者の憂鬱から考えれば、ベテランに余裕があっても、その余裕を噺の世界を味わうところにまで割こうとするとは限らないのではないか。

また、鑑賞初心者でも、噺の世界を積極的に味わおうとしている者もいるだろう。

そこで、追加の分析として、何が没頭体験を予測するかを分析した。

それは、観客(実験参加者)の知識なのか、それとも鑑賞しているときの見方なのだろうか。

主観的に評価した噺の世界への没頭体験(頭を使って想像する面だけではなく、手に汗がにじむといった身体的な面も含む)を目標変数にした。

そして、予測しうる要素として、次の5つを導入した重回帰分析(あるデータを他の複数のデータによって予測、ないしは説明するための「関係性の式」を作る分析手法)を行った。

  1. 感じたおもしろさ
  2. 噺家についての知識(有無)
  3. 演目についての知識(有無)
  4. 鑑賞時の瞬目間間隔の平均値
  5. 鑑賞時の瞬目間間隔の標準偏差

瞬目間間隔(IBI、 inter blink interval、以下IBIと呼ぶ)とは、あるまばたきから次のまばたきまでの時間のことだ。
IBIは0.3秒から数十秒までという、わりと大きな開きがある。

落語鑑賞中に注意解放されたタイミングでまばたきは生じやすい。このため、IBIの平均値が高いことは、頻繁に注意の切り替えを行っていることを示している(もちろん、ドライアイなどの要素を除いた場合)。

また、IBIの標準偏差はばらつきを示している。短いまばたきと長いまばたきが混在していると、ばらつきは大きい。一方、平均して同じくらいの長さのまばたきだけなら、ばらつきは小さい。

つまり、落語を鑑賞中にじっと見ている部分と、バチバチと頻繁にまばたきをしている部分があると、標準偏差は大きくなるということだ。

ヤマ場とダレ場

分析の結果、予測力を持っていたのは、おもしろさとIBIの標準偏差だけで、知識は関係がなかった。

実験で扱ったのは『二番煎じ(にばんせんじ)』という滑稽噺なので、おもしろさは予測力を持つのも妥当であろう。

だが、IBIの平均値ではなく、標準偏差が予測力を持つのは興味深い。これは落語鑑賞時のIBIにばらつきが大きい者ほど、没頭していたことを示している。

言い換えれば、鑑賞中にじっと見ているところと、気を抜くところが混在していることが没頭体験につながるということである。

噺家の教訓のひとつに、「噺の全編にわたって客を力ませていてはいけない」というのがある。噺には、ヤマ場だけではなくダレ場も作らなくてはいけないのだ。

観客が自発的にそういう見方をすると、ベテランか初心者かに関わらず没頭体験につながる。だから、この論文は、ある意味では世界で初めてダレ場の意味を実証的に示したものでもある。

論文の本文から次の一文を引用して、観客の側に注目した連載の締めくくりにしたい。

In this sense、 a performer and audience share the responsibility to create transportive enjoyment in a vaudeville setting. (p. 9、 right column)
この意味で演芸において没頭する楽しさを創り出す責任は、噺家と観客の双方が共に負っているのだ

 

次回は、ヒトの認知システムという視点からいくつかの噺を眺めてみよう。そこでは、ヒトの理解や記憶、推論などの特性を実に巧みに利用した古典落語の姿が浮き上がってくる。

 

2015年6月19日更新 (次回更新予定: 2015年7月20日)

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