やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第13回 落語初心者が体験する35分後の変化

前回は、古典芸能としての落語という側面に比べて、見落とされがちな落語の現代性について論じた。

今回は、鑑賞者としての観客が熟達し、見巧者になるとはどういうことかについて論じる。

Frontiers in Psychology誌に掲載された落語の論文

うれしいことがあった。ちょうど前回(第12回)の連載が公開された日、野村を第一著者とする論文が、英文の心理学専門誌に掲載されたのだ(注1)。

これは、私自身にとって一つの転換点になるだろう。同時に、落語の実証的な研究ができることが裏打ちされたという意味でも重要である。

論文が掲載されたFrontiers in Psychologyは、個別の実証研究を載せる心理学雑誌としては、世界で10本の指に入るくらい影響力(impact factor)が強い。

だが、その名前に開拓者(フロンティアーズ)と標榜する通り、新しい試みに対して開かれている。落語の論文が受け入れられたのもきっとこのためだ。

この雑誌は、近年流行っているオープンアクセスというスタイルをとっており、ネットがつながっていれば誰でも読むことができる。興味があれば、参照ページの右上にある「download」からpdfをダウンロードして読んでみてほしい。

この雑誌に掲載された論文は、実験参加者の観客としての鑑賞経験が、まばたき同期と主観的な没頭体験にどう影響するのかの検証を通して、観客の鑑賞者としての熟達を論じている。

一口に落語ファンといっても、一人一人が落語のどこを楽しんでいるのかは実に多様である。

鉄道ファンのなかにも、乗車を専門に愛好する「乗り鉄」や写真を撮るのが好きな「撮り鉄」がいるように、落語ファンも人によっていろんな観点から落語を楽しんでいる。落語自体が好きでよく寄席に行く者と、特定の噺家(はなしか)のファンでいわゆる追っかけとして落語会に足を運ぶ者、この2者でもアプローチはだいぶ違うだろう。

ほかにも、寄席の顔付けの記録マニア、落語理論の論客、音源コレクター、落語史学者、落語の舞台になった場所への巡礼者をお見かけする。私が出会った人数でいえば、これらは男性に多いようだ。反対に女性に多いのは、噺家の着物の着こなしや帯との取り合わせの妙を楽しむという方だ。

落語の鑑賞体験と鑑賞パターンの変化

いろんな楽しみ方があるなかで、落語に親しむことはどんな効果を生むのだろうか。

ここでの関心は、それぞれの楽しみ方によって生じる差異の詳細な分類と記述にはない。むしろ、落語を数多く鑑賞することによって、落語の見方(鑑賞の仕方)がどのように変化するのか、その行動パターンの変化を描き出すことにある。

第4回の連載でも述べたが、実証的な研究としてやっていくためには、注目する行動は客観的に捉えられるものでなければならない。そこでは、枝葉は捨象することになっても、意味を共有できる幹の部分をしっかりと捕まえることが不可欠である。

そうした条件を満たす指標として注目するのは、今回もまばたきである。

まばたき(自発性瞬目)は注意のプロセスと関連しているため、どこでまばたきをするのかは、観客が見聞きしている情報に緩く連動している。

熟達した噺家の口演は、初級者の口演よりも観客の注意をうまくガイドすることで、多くの観客に共通したタイミングでまばたきを生じさせる。この結果として、観客どうしでまばたきが同期することが知られている(第5回第6回の連載)。

これは、実験参加者が落語を知らなくても、また、観客間に相互作用がなくても起こる。

なるほど。初心者でさえまばたきが同期するのだとしたら、落語をよく聴きちゃんと聴きどころを押さえているはずのベテランの観客は、観客どうしでまばたきが生起するタイミングもっと合うだろう。そう考えるのが筋かもしれない。

しかし待て。先に述べたように、観客の楽しみ方は一人ひとり異なっている。もし観客として熟達することが「自分なりの観点を持つ」ことだとしたら、逆にまばたきが生起するタイミングは、初心者の観客よりもバラバラになるはずではないか。

どちらの考えが正しいのか。それは、実際の行動を見なければわからない。論文では、これを検証した。

『二番煎じ』鑑賞時における差異

何らかの形で落語を10回以上聞いたことがある観客をベテラン、それよりも少ない回数しか聞いたことがない観客を初心者と定義した。ただし、実際の実験参加者には、月に数回は落語会に通い、数十年続けているという真のベテランも含まれている。

実験参加者には、古今亭文菊(ここんてい・ぶんぎく)師による2種類の口演(いずれも古典落語『二番煎じ(にばんせんじ)』)のうち、どちらかランダムに割り当てられたものが提示された。

映像はどちらも50分ほどあり、5分ごとにまばたきが生起するタイミングを評価した。

今回は観客2名ごとのまばたきのタイミングのずれを計算し、平均してずれが小さいほど観客どうしでタイミングが合っていると判断した。

結果は、シンプルだが美しいものだった。

どちらの口演でも、ベテランは初心者に比べてまばたきのタイミングが合っていた。しかし、それは噺の前半30分までだった。35分から50分(オチ)までの間は、初心者でもまばたきの生起タイミングは合っていき、ベテランと同じ水準になった(Figure 2に示されている)。

つまり、噺の初めのうちは落語についての知識があることによってタイミングが合う。だが、落語をそれほど知らなかった初心者でも、噺を聞いていくうちに噺の筋を理解し、登場人物の特徴をつかんでいくことで、注目すべき情報が自然とわかるようになる。結果としてベテランの観客と同じくらいまでタイミングが合うようになるのだ。

これは二つの理由から興味深い。第一に、観客はベテランになると、口演の共通した時点の情報に注意を向けるようになるということだ。観点の違いによって注目する点がバラバラになることはなかった。

第二に、そこで得られる効果は、初心者が噺を聞きながら理解していき、共通した時点の情報に注意を向けるようになるのと同じくらいの程度だった。

この結果は、ベテランが持つ知識が質的に断絶した違いをもたらすのではなく、通常の内容理解を支えていることを示唆する。

今回は、観客として熟達することの一面を示した。だだし、ここで紹介した結果は、注目する情報が共通していたことを示すものであり、観客が独自の観点を持つということ自体を否定してはいない。

次回は、この点に焦点を当てて、没頭体験という視点から観客が鑑賞者として熟達することについて再考していく。

注1
Nomura, R., Hino, K., Shimazu, M., Liang, Y., & Okada, T. (2015). Emotionally Excited Eyeblink-Rate Variability Predicts an Experience of Transportation into the Narrative World. Frontiers in Psychology doi: 10.3388/fpsyg.2015.0447.
http://journal.frontiersin.org/article/10.3389/fpsyg.2015.00447/full

2015年5月20日更新 (次回更新予定: 2015年6月20日)

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