前回は、落語の場を左右する要因の一つとして、観客どうしの互いに引き込み合う効果の表れ方が、観客がベテランか初心者かによって異なることを見た。今回は、ウェブ連載の締めくくりとして相互作用の正体について考えてみよう。落語の場 […]
やわらかな知性~認知科学から視た落語~
第23回 「まばたき同期」から視た落語初心者と落語通の違い
前回は、落語の場を取り上げて、観客どうしの相互作用が互いに引き込み合う方向で影響することを見てきた。今回は、この観客どうしの相互作用が、観客の視聴経験によってどのように違ってくるのかをみていこう。 共通入力によって生じる […]
第22回 「まばたき」と落語の「場」
前回は、切通坂(きりとおしざか)を取り上げて、人の身体と認知の関係についてみてきた。今回の連載から3回にわたって、著者が認知科学の観点で行った落語の場についての研究で明らかになった新たな知見を紹介していく。 「場」とは何 […]
第21回 切通坂をめぐる「身体と認知の相互作用」
前回は、掛取万歳(かけとりまんざい)という噺(はなし)を取り上げ、「好きなことには心が奪われる」ということが巧みに利用されていることを見てきた。今回は本連載の興味からは少し離れるが、認知科学が明らかにしてきたヒトの身体と […]
第20回 相手の判断を鈍らせる方法
前回は、秋の気配に誘われて哲学的な思索に耽(ふけ)った。結果として、人が進化の過程で獲得した抽象的な思考に基づいた数学や哲学の立場から、落語の作用を振り返ることになった。 今回は、年の瀬ならではの勘定の噺(はなし)を題材 […]
第19回 志の輔落語『親の顔』と抽象思考
前回は、松山鏡(まつやまかがみ)を題材にして、鏡像による自己認知について論じた。 今回は、日常での判断について、人が進化の過程で獲得してきた抽象的な思考に依拠する哲学や数学の観点から覗いてみよう。 抽象と具体の返し縫い […]
第18回 古典落語のなかの鏡像
前回は、人間の論理性について論じた。一見正しそうに見える理屈も厳密に見ていくと、正しくはないことがある。このことを落語では巧みに活用していることがわかった。 上下が逆さに映る鏡 このところハロウィンの熱気が高まってきて、 […]
第17回 『粗忽長屋』を笑える知性
前回は、落語『平林(ひらばやし)』を取り上げ、認知科学の観点から、定吉(さだきち)の記憶力をめぐる謎を説明する一つの可能性を提案した。 今回は、落語のおかしさのうち、論理性に関わるものをみていこう。毎度ながら説明のために […]
第16回 小僧・定吉が維持リハーサル
前回は、落語『金明竹(きんめいちく)』を具体例にして、観客の知性の機能である理解や記憶に注目しながら、噺(はなし)の構造を見ていった。 今回は、落語『平林(ひらばやし)』を例にとって、短期記憶の特徴をうまく使った噺の構造 […]
第15回 落語『金明竹』の巧妙なる構造
前回は、観客のまばたきを測定した実験の結果、いわゆるヤマ場やダレ場のある見方をしている人ほど、没頭体験が強いことを見た。 今回は、古典落語『金明竹(きんめいちく)』を具体例にして、観客による理解や記憶に着目して噺(はなし […]
第14回 落語鑑賞という没頭体験を予測する
前回は、落語鑑賞に慣れたベテランの観客が、ポイントとなる情報を容易に拾い出すという熟達の一面を論じた。 今回は、観客がどのように落語を見ているのか、その没頭体験を予測することについて述べていく。 見巧者の憂鬱 落語に限ら […]
第13回 落語初心者が体験する35分後の変化
前回は、古典芸能としての落語という側面に比べて、見落とされがちな落語の現代性について論じた。 今回は、鑑賞者としての観客が熟達し、見巧者になるとはどういうことかについて論じる。 Frontiers in Psycholo […]
第12回 古典落語が備える現代性
前回は「噺家(はなしか)共同体」における師弟関係と学びの哲学を論じた。 今回は、落語の現代性について論じる。なぜ古典落語はよく見聞きするのに、現代落語という表現はそれほど定着しないのだろうか。 談志師の『現代落語論』 巷 […]
第11回 噺家共同体における「学び」の共有
前回は、落語『千早振る(ちはやふる)』を事例に取り上げて、語りの方略の実際をとくに笑い終わり待ちの間(ま)に触れて見てきた。 今回は、落語における師弟関係とその背景にある学びの哲学について論じていく。 「知る」のレベル […]
第11回 噺家共同体における「学び」の共有
前回は、落語『千早振る(ちはやふる)』を事例に取り上げて、語りの方略の実際をとくに笑い終わり待ちの間(ま)に触れて見てきた。 今回は、落語における師弟関係とその背景にある学びの哲学について論じていく。 「知る」のレベル […]
第10回 語りの方略「待ちの間(ま)」
前回は、落語の「スクリプト」がどのように生み出されており、そこではどんな「語りの方略(演じ方の工夫)」が使われているのかをみてきた。 今回は、熟達した噺家が何をしているのかを明らかにするために、いわゆる落語の「間(ま)」 […]
第9回 小三治『千早振る』の構造分析
前回は、フレームとスクリプトが噺(はなし)のなかでどのように活用されているのかを概観した。 今回は、古典落語『千早振る(ちはやふる)』を取り上げ、前回、前々回に説明したスキーマやフレーム、スクリプトの観点から噺の構造を明 […]
第8回 落語とフレームとスクリプトの関係
前回は、落語を楽しむ観客の「やわらかな知性」にまつわる各論に触れた。とくに、「スキーマ」という概念に基づいて落語のおかしさについて論じたが、今回は、同じく認知心理学の基本的な概念である「スクリプト」と「フレーム」の観点か […]
第7回 『蒟蒻問答』をスキーマで読み解く
前回までは、落語を観る観客の「まばたき同期」に注目することで、噺家(はなしか)のうまさを客観的に検討していけることを論じてきた。 今回からは、落語を楽しむやわらかな知性にまつわる各論に触れていく。まずは、認知心理学の基本 […]
第6回 噺家のうまさは客観的に読み解けるのか?
前回は、まばたきという客観的で定量的な指標に注目した観察によって、現象がより細やかに描き出されると論じた。しかし、このような現象がどのような仕組みで実現されているのかについては、実はまだ何も述べていない。 今回は、そのメ […]
第5回 観客のまばたきが同期する現象
前回は、落語を聞いている多くの観客の状況をつぶさに観察することを通して、客観的で定量的な観客の「まばたき反応」という重要なものさしを見出したことを述べた。 今回は、いまだ気づきに過ぎないこの現象の素描を、どのような理屈で […]
第4回 噺の世界に引き込まれるメカニズム
前回は、適切な制約はあやふやな環境での学びを可能にするが、一方で芸を磨く過程では制約を緩めて探索することも必要になると論じてきた。 そしてこれまでの3回にわたる連載で、文字の世界に落とし込みにくい活き活きとした落語像を思 […]
第3回 噺家の修行、その熟達化の原理
前回は、創造的な問題解決という視点に立ち、ダイナミックな行為としての噺(はなし)を理解してきた。噺は即興的な表現の創出だという新鮮な見方である。 しかし、そんなあやふやな状況で噺家はどうして上手くなることができるのか。 […]
第2回 落語の面白さは「創造的問題解決」にあり!
前回は、落語を聴いて噺(はなし)の世界を楽しむためには、曖昧(あいまい)なものを許容するやわらかな知性と、人物の振る舞いや心情に共感する力が不可欠だと論じた。 今回は、落語のもう一方の主役である噺家(はなしか)に目を向け […]
第1回 落語を聴くときに働く知性とは?
ただ楽しめばいい落語だが、落語をよく聴くようになると、人によっては落語とは何だとか、噺[はなし]とはこういうものだとか、批評家のように論じたくなる方がいると聞く。ところが、改めて考えてみると、うまく説明できないこともまま […]