やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第23回 「まばたき同期」から視た落語初心者と落語通の違い

前回は、落語の場を取り上げて、観客どうしの相互作用が互いに引き込み合う方向で影響することを見てきた。今回は、この観客どうしの相互作用が、観客の視聴経験によってどのように違ってくるのかをみていこう。

共通入力によって生じる同期

これまで、落語の場に関して「落語では本当に場があるのか」が問われてきた。だが、研究の土台に乗った今、「場がどの程度の影響力を持つのか」、そして「場を左右する条件にはどんなものがあるのか」を問う段階にまできている。言い換えれば、誰もが肌感覚として感じ取っていた場というものを、客観的な方法を使い、より精緻(せいち)に調べることができるようになったということである。

前提になる状況を整理しよう。以前のウェブコラム(第13回、第14回)で見たように、熟達した噺家(はなしか)の口演は、観客に対して蓋然的に(高い確率で)観客の注意の配分と解放のサイクルを誘導する。結果として、観客のまばたきが生起するタイミングが似通ってくる。つまり、演者と観客とのあいだの関係性から生み出される注意サイクルの周期が共通することで、観客のまばたきが互いに同期するのだ。これは、物理学の表現で言えば、共通入力によって生じる同期である。

このタイプの同期が、現実の生物の中で観察できることが広く知られるようになったのは、1995年のことである。Science誌に掲載された論文では、ラットの皮質から得られた単一の神経細胞に対して強弱のある電気信号を流す実験が行われた(Mainen & Sejnowski, 1995)。実際に電気信号を流してみると、神経細胞が発火する間隔は長かったり短かったりと複雑で、一見ランダムなものであった。

しかし驚くべきことに、何度も同じ強弱で電気信号を流してみたとき、神経細胞の発火パターンは完全に再現された。つまり、神経細胞の活動はランダムなものではなく、入力された電気信号の強弱に応じて「規則正しく、かつ、複雑に」反応を返していたのである。

この結果は、驚きをもって受け入れられた。そのおかげもあって、その後は様々な対象を扱った研究で類似の発見がなされている。精度の違いこそあれ、落語で観客どうしのまばたきが同期するのも、これと同じメカニズムで説明できる。すなわちそれが、先ほど述べた話し手と聞き手とのあいだの関係性による同期だ。ラットの神経細胞の発火パターンと落語を聴いている観客のまばたき生起パターンが、同じ仕組みで説明できるのは非常に興味深い。

ただし、前回の連載では、観客どうしの相互作用というもう一つのメカニズムが働いていることを指摘した。いうなれば、共通入力としての噺家の口演がある状況は同じだが、さらにその上で、場を構成する要素としての観客どうしの相互作用によって生じる同期である。

集団状況で観客が互いに引き込み合うように影響する場合には、同期の程度は高まるはずだ。それに対して、観客が互いに退け合うように影響する場合には同期の程度は低まるはずである。後者のように、相互作用は必ずしもタイミングを合わせる効果をもたらさないかもしれない。他の客がかえって邪魔になる可能性もあるからだ。

初心者群とベテラン群、それぞれの相互作用

実際に行った実験では、まばたきの生起タイミングのズレは、一人ひとりの実験状況に比べて、寄席(よせ)を再現した状況で30%~60%ほど小さくなった。これは前回の連載で述べた通りである。

だが、この話には続きがある。

全体の結果としては、口演された古典落語『二番煎じ(にばんせんじ)』が進んでいくにつれて、ズレは小さくなっていく傾向がみられた。これは、ある時点で特異的に(=特定の場面だけで)相互作用が働いているというのではなく、50分にわたる落語全体を通して影響がみられることを示唆する。

さらに、寄席を再現した集団状況でどのくらいズレが小さくなるのかに着目すると新たな知見が得られた。それは、観客がそれまでにどれくらい落語を聴いたことがあるのかによって相互作用の効果の出方が違うということである。

落語の視聴経験について補足すると、どんな媒体でも10回以上落語を聴いたことがある方々をベテラン群、それ未満の方々を初心者群として比較している。これはあくまで操作的な定義で、実際には、ベテラン群には10年以上に渡って月に数回落語会に通う本当の落語好きもいる。また、初心者群のほとんどはテレビなどで2、3回見たことがあるという参加者がほとんどであった。だから、両者の落語を鑑賞する経験には大きな開きがある。

さて、観客どうしの相互作用の効果の現れ方について、ベテラン群と初心者群でどのような違いがあったと、読者は予想されるだろうか。実際の解析結果は、少し予想外かもしれない。

まばたきの生起タイミングのズレを解析してみると、ベテラン群よりも初心者群の方がより大きく下降していた。簡単にいえば、個人実験より集団状況において同期しやすいのは、初心者群の方だったのだ。

実際、ズレの大きさの時間的推移を見てみると、ベテラン群では50分ある口演のうち最初の20分間は、集団状況の結果は個人実験の結果と変わらない。その後、25分以降になって初めて相互作用の引き込み合う効果が表れるようになる。これを受けて、ベテラン群ではズレは30%ほど低下した。

それに対して、初心者群では、最初の5分ですでに個人実験よりも集団状況で大幅にズレは小さく、引き込み合う効果が始めから強く働いていることが示唆される。初心者群では、口演を通してズレが60%ほど低下した。

ベテラン群も受ける周囲からの影響

この結果は、どのように考えればいいのだろうか。単純に解釈すれば、初心者群はベテラン群よりも、観客どうしが影響を与え合うことで、どの時点に注意を向けるか(向けないか)が決まるということになる。もっと日常的な言い方をすれば、初心者が落語を聴くときには、周りの観客の反応から影響を受けて「見どころ」を見つける、ということである。

一方のベテラン群は、実験以前から「見どころ」を知っており、周囲に観客がいてもいなくても、そこを見る。しかし、ベテランの観客は、口演が進んでいくと、あらかじめ知っていることに基づいて行う予期、噺の世界に加えて、周囲の観客の反応に合わせてイメージを膨らませることによって生じる予期も行うようになる。結果として、注意のサイクルは観客どうしの相互作用によって似通ってくることになる。

これらの考察については、解釈しすぎているきらいがあるが、日常的に体験される寄席や落語会での反応パターンとも合致してはいないか。会場の多くを占めるベテランの観客は、落語的な見方で落語を楽しむ。初心者は、周囲の観客の反応を受けて、落語で注意を向けるべきポイントを無意識のうちに探り当て、楽しみ方をわかっていく。こういった現象が起きていても不思議ではない。

ただし、これらは依然として仮説の段階である。今回紹介した実験では、ベテラン群と初心者群が混在する状況については試していないからだ。現在、観客どうしの相互作用が、時間の流れの中でどのように発展していくのかについて、正確に知っている者はまだ誰もいない。

今回は、落語の場を左右する要因の一つとして、観客どうしの互いに引き込み合う効果の表れ方が、観客がベテランか初心者かによって異なることを見てきた。次回は、相互作用の正体はなにかについて述べる。落語の場に物理的実体はあるのか、もしあるとすればそれは何か、を考えていこう。

引用文献
Mainen, Z. F., & Sejnowski, T. J. (1995). Reliability of spike timing in neocortical neurons. Science, 268(5216), 1503-1506.

2016年5月1日更新 (次回更新予定: 2016年5月31日)

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