やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第22回 「まばたき」と落語の「場」

前回は、切通坂(きりとおしざか)を取り上げて、人の身体と認知の関係についてみてきた。今回の連載から3回にわたって、著者が認知科学の観点で行った落語の場についての研究で明らかになった新たな知見を紹介していく。

「場」とは何か

2016年2月、科学史に残る画期的な出来事が起こった。アインシュタインによって、その存在が予言されていた重力波が直接観測されたのだ。これまでも、重力波によって空間がゆがめられていることは間接的には観測されていた。というのも、太陽の背後に隠れているはずの天体が地球からも観察されていたからだ。だが、今回のように実験装置によって確認された意義は非常に大きい。なぜなら、一度成功すれば、繰り返し観測することで、データを蓄積できるからだ。繰り返しの観測で例外となるデータがなければ、理論の妥当性は増していく。

空間が重力波によってゆがんでいるという事実は、空間自体が重力を伝える「場」(重力場)になっていることを示している。3次元の世界に生きる我々にとって、空間が波打つことで伝わるのはイメージしにくいが、プールの表面に立つ波が浮き輪を動かすという比喩で考えればわかりやすい。場は、波として影響を伝える働きをしている。

ところで、落語を含む日本の伝統芸能の世界では、観客の様子を指して「場の空気」とか「場の雰囲気」という言い方をする。ここでいう「場」は物理学の意味での「場」とは違うとしても、どういうものなのだろうか。寄席(よせ)に行って噺(はなし)を聴いていれば、場というものがありそうなことは感覚的には捉えることはできる。だが、これだけ科学技術が発展した今日でも、場が実際のところどんなものなのか、私たちは何も知らないのだ。

2014年の暮れ、筆者らはこの意味での場を解明しようと思い立った。ところが、それは時期尚早だった。というのも、先行研究をどんなに渉猟しても、そもそも相互作用が確かにあるのか自体が実証的な意味では確かめられていなかったからだ。今はまず、相互作用がどのようにあるのか、またその影響力はどの程度なのかを知ることが先決だった。

そのためには、場というものを定式化することが不可欠である。このとき筆者がたどった思考の流れを追ってみよう。

まず、場がどんなことかはわからなくても、少なくともその構成要素として、観客どうしの相互作用があることは間違いない。なぜなら、観客が一人だけいる状況を指して場とは言えないからだ。複数の観客がいて、しかも観客が互いに時間と空間を共有して初めて場が生まれるという見方は、素朴ではあるがほとんどの読者に異論はないだろう。つまり、観客どうしに何らかの相互作用interactionがあり、その総体を指して場と呼んでいるようだ。

場についての研究のとっかかりとして、相互作用がどう働いているのかを推定することにした。そこで出てくるのが、観客どうしで生じるまばたきの同期である。

「まばたき」における観客の同期

観客のまばたきがどれくらい同期するかは、噺が聞き手の注意をどの程度ガイドするのかという訴求力に比例している。このような考えから、前の研究では演者の熟達化を示す指標としてまばたき同期を扱ったのだが、この研究では観客間の相互作用を推定するためにこれを使った。

仮説はこうだ。もし、観客が互いに独立しているなら、観客(実験参加者)が一人ひとりで落語を視聴するときと、寄席のように複数で視聴するときにまばたき同期の程度には差がみられない。それに対して、観客が互いに影響をしあっているなら、まばたき同期の程度が変化するはずだ。言い換えれば、場を作り相互作用をしているなら、まばたき同期の程度に違いがみられるということだ。

互いに引き込み合うように影響する場合には、同期の程度は高まるはずだし、互いに退け合うように影響する場合には同期の程度は低まるはずである。落語における場では、他の客がかえって邪魔になる可能性もあるため、同期が低下する可能性も否定できない。

これを検証するために実験室での一人ひとりのまばたきと、教室に寄席を再現した状況での複数の観客のまばたきに関して、それぞれ生起するタイミングのズレを算出した。なお、後者は客席の様子をビデオ撮影しておいて、後から手作業でまばたきをチェックしたデータを使っている。

この結果、まばたきの生起タイミングのズレは、一人ひとりの実験状況に比べて、寄席を再現した状況で30%~60%ほど小さくなった(Nomura, Liang, & Okada, 2015)。つまり、複数の観客が落語を聴いているときには、互いに引き込み合うように影響していたのだ。

研究は始まったばかり

この知見は、PLoS ONEという国際誌に掲載された。この雑誌は、研究分野に関わらず研究方法が妥当であれば基本的には掲載をするという方針を取っている。採択率は、70%ほどといわれるが、多くの論文がその後の研究で引用されるインパクトを持っていることがウリだ。そして、なにより特徴的なのは、PLoS ONEが現時点での研究の意義を問わないということだ。この背景には、研究の真の意義は、時間が経過しなければ判断できないという哲学がある。

今回の論文は、このような雑誌だからこそ掲載されたことはおそらく間違いない。

落語の場の研究はまだ始まったばかりだ。しかしながら、まばたき同期に着目して相互作用の程度を推定するという研究方法が確立された今、落語の場を再現して繰り返し検証することができる。他の演目や客席の状況ではどうなるのか、その普遍性を検討する今後の研究が期待される。

落語では場が何かしら影響することを誰もが肌感覚として感じ取っていた。それを客観的に観察できる方法で調べることができるようになったことは大きな進歩である。これまでは、いわば「落語では本当に場があるのか」を問うものだった。だが、これからは「場がどの程度の影響力を持つのか」を問う段階にきている。

 今回は、落語の場を検討する筆者らの研究を紹介した。次回は、今回紹介した研究でさらに明らかになったことを解説し、落語の場についての理解を深めていきたい。

引用文献
Nomura, R., Liang, Y., & Okada, T. (2015). Interactions among Collective Spectators Facilitate Eyeblink Synchronization. PLoS ONE, 10(10): e0140774.

2016年4月1日更新 (次回更新予定: 2016年5月1日)

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