前回は、掛取万歳(かけとりまんざい)という噺(はなし)を取り上げ、「好きなことには心が奪われる」ということが巧みに利用されていることを見てきた。今回は本連載の興味からは少し離れるが、認知科学が明らかにしてきたヒトの身体と認知のかかわりについて、落語を題材にしてみてみよう。
湯島天神脇の切通坂
正月の雰囲気も落ち着き、日常が戻ってきている。
一月も末になる1月25日は初天神(はつてんじん)の日だ。毎月25日は天神さま、つまり、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)を祀(まつ)った神社の縁日で、その年の初めにある縁日を初天神と呼んでいる。
東京大学のある本郷(ほんごう)の交差点から上野広小路(うえのひろこうじ)へ坂を下る途中に有名な湯島天神(ゆしまてんじん)がある。落語の『初天神』といえば、この湯島天神の初天神へと向かう父子の噺だ。
初天神に参ろうと父親が出かけようとするところを金坊(きんぼう)は目ざとく見つける。金坊に一緒に連れて行ってとせがまれるのを、なんとかかわして父親は出ようとするが、母親まで味方してどうにもならない。父親が渋々承知をし、金坊も「あれ買って、これ買って」と言わない約束で、二人は天神様へ向かうのだった。
父子は広小路から坂を登って天神さまへ向かったのだろう。この坂は切通坂(きりとおしざか)と呼ばれている。
切通というのは、読んで字のごとく山や丘を切り開き通した通路のことだ。この辺りは確かに台地になっている。だからきっと、もとは切通があったのだろう。実際、この一帯には切通という地名が付いており、切通公園として今でもその名を残している。そこにある湯島天神脇の急な坂が切通坂だ。
急な坂道であるはずなのに、この落語では父子が坂を上るのが大変だというような会話は出てこない。それほど坂が苦ではなかったのは、二人が初天神の賑(にぎ)わいを楽しみにしていたことが影響しているのではないか。こう推測できるのには理由がある。
『初天神』の「身のある認知」
坂の勾配(こうばい)の捉え方は坂を登る人の文脈によって大きく異なることが知られている。坂という物理的な角度の問題なのだから、見たときにどれくらいの傾斜があると感じるかは一定になりそうなものだ。だが、実際にやってみるとそうではなかった。
たとえば、長距離を走ってきた学生に坂を見せると、なにもなしで見せた場合よりきつい傾斜だと回答する。そのほかにも、重い荷物を背負わせてみると同様の結果が得られる。
つまり、人の坂をどう受け止めるかは、身体的な状況に依存しており、同じ坂を見ても負荷が高いときほどよりきつい坂だと感じられるのだ。
認知科学でこの類の研究が盛んになった背景には、研究者の反省があった。
これまで人の認知や知覚は実験室での実験を使って研究されることが多かった。ところが、実際の知の働きを見てみると、実験室での無味乾燥した状況での結果とどうもずれがある。よく調べてみると、私たちのふだんの認知は使っている道具や環境という具体的な物事に依存して知性が働いていることが分かった。
この新しい認知のあり方はembodied cognition(定訳はないが、「身(み)のある認知」ほどの意味)と呼ばれ、2000年代以降たくさんの研究がなされるようになってきた。
ここから導かれる結論はこうだ。坂の上には賑やかな縁日が待っている。これが、『初天神』の親子に、坂の勾配をより小さく感じさせた。
切通坂を登るもう一人の人物
「身のある認知」は、その後さまざまな面で知られるようになった。たとえば、履歴書を読むとき、書類を止めているクリップが重いと、そこに記されている人物が重要であると判断しやすい。別の研究では、温かい飲み物を手に持った後には、冷たい飲み物を持った後よりも寛容な態度を取りやすいことも示されている。
本人も気づかないうちに、身体へのインプットが認知に影響するという「身のある認知」の考え方は、次の予想を導く。
それは、坂を登るときにも、体の状態が考えに影響するということだ。
実際、この切通坂を『初天神』の父子とは違う心境で登ることになった登場人物が落語には出てくる。『柳田格之進(やなぎだかくのしん)』に出てくる番頭徳兵衛(とくべえ)だ。
年始回りに出た番頭の徳兵衛は、切通坂へ差し掛かったところで、蛇の目傘を差し、宗十郎頭巾をかぶった身なりのいい武士を見かける。これが柳田格之進だ。かつては浪人であったかの人は、いまや石高三百石という立派な侍だ。徳兵衛は天神様の境内にある茶屋で、格之進が酒を振る舞うが徳兵衛は飲む気にならない。
それもそのはず、夏のさなか五十両という金子が紛失した廉(かど)で、徳兵衛が格之進にかけた疑いが、年末のすす払いの時に誤りだと判明したからだ。徳兵衛が格之進宅でこの件を糺(ただ)した時、「もし出てきたときには、首をもらいうける」と言われていたが、その金子がちゃんと出てきた。
徳兵衛は生きた心地がしないまま、謝罪するために格之進を探していた。そして、二人が出会うのが、雪の深々と降る切通坂である。本郷の辺りには、武家屋敷が多くあった。切通坂で格之進を見つけることになったのも、格之進が仕えるようになったことを暗に示す意味合いがあるのだろう。
切通坂が徳兵衛に与えた作用
だが、認知科学の観点からみると、坂であることに何か意味があるように思えてならない。坂を登っている徳兵衛からは格之進を見上げる必要がある。見上げる姿勢は、格之進を実際以上に立派な身なりをした侍に見せたことだろう。
それだけではない。二人は茶屋に入るが、切通から湯島天神に上がるには、さらに急な階段を登らなくてはならない。「身のある認知」が働いていたとすれば、そのとき徳兵衛が感じた体の重さは、気を余計に重くしたはずだ。
こう考えると、二人が坂で出会うというのは、徳兵衛が身体に受ける情報によってますます気が重くなるという構図を生み出すとても効果的な状況設定だ。
さて、噺の方では、徳兵衛は這う這う(ほうほう)の体で店に帰り、主人に事の仔細(しさい)を語った。翌日店で待つは、番頭徳兵衛と店の主(あるじ)万屋(よろずや)源兵衛(げんべえ)の二人だ。やってきた柳田格之進は「約束通り首をもらい受ける」という。
主は番頭がやったのはすべて私に責がある。主の私を切ってくだされというが、番頭は一人でやったことなので自分を切ってくれという。
格之進は長刀を抜いて、一振り「手が滑った」と言って、碁盤を二つに切る。噺の方はまだ続くのだが、ここでサゲにして終える噺家も多い。
徳兵衛が感じた身の重さは、いかほどだったことだろうか。この噺は、人の身体と認知が分かちがたく連動していることをよく示している。
今回は、切通坂を取り上げて、人の身体と認知の関係についてみてきた。次回からは、再び著者が認知科学の観点で行った落語の研究から明らかになったことを数回にわたって紹介していこう。そこには、観客どうしの相互作用を実証的に解明するという世界で初めての挑戦がある。
2016年2月19日更新 (次回更新予定: 2016年3月20日)
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