やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第9回 小三治『千早振る』の構造分析

前回は、フレームとスクリプトが噺(はなし)のなかでどのように活用されているのかを概観した。

今回は、古典落語『千早振る(ちはやふる)』を取り上げ、前回、前々回に説明したスキーマやフレーム、スクリプトの観点から噺の構造を明らかにし、演じ方の工夫との対応関係を見ていこう。

「くすぐり」の洗い出し

1月というのは、全国の大学4年生にとって試練の時だ。そのほとんどが卒論の締め切りに追いまくられているからだ。

私自身もおよそ10年前の1月、心理学専攻の卒業研究をまとめた論文を提出した。ハードディスクの奥底に残っていた原稿をいま改めて見ると、とても恥ずかしい。なにより附録を除けば全部で30ページしかない。よくこれで卒業できたものだ。

しかし、一方で誇るべきこともある。というのは、私が卒論で扱ったのは柳家小三治(やなぎや・こさんじ)師の『千早振る』だったからだ。ご存じの通り、小三治師は昨年2014年の7月、人間国宝(重要無形文化財保持者)になった。落語を対象にした論文で博士号を取得することになる野村には、間違いなく先見の明があった、と思いたい。

私の卒業研究のねらいは、噺家(はなしか)が観客を楽しませるためにどのような語りの方略(演じ方の工夫)を用いているのかを、一つの事例をていねいに見ることで明らかにしていこうというものだった。

そのための準備として、まず噺の構造を描き出すことにした。約25分に渡る小三治師が演じる『千早振る』のすべての発言を記録し、動作を抜き書きして、論理的な構造を特定していった。つまり、どんなフレームやスクリプト(連載第8回参照)が存在し、そこからどのように逸脱しているのかを記述していったのである。

たとえば、『千早振る』でごく有名な、

「伊勢屋のお嬢さんやなんかみんな仲間になってね、畳の上へ札並べて取り合ったりするんですよ」

隠居「あぁそら、おまえ花札だろう」

というくだりについて考えてみよう(以下、人物の会話はすべて小三治師による口演に基づいている)。

スキーマ(連載第7回参照)という観点からはくすぐりの構造を次のように説明できる。金さんのセリフにある「畳の上へ札並べて」というのを聞いて、女の子たちが集まって札を取り合うものとして観客の頭にまず思い浮ぶのは百人一首である。しかし、その予期に反して隠居は「花札だろう」と述べる。いうまでもなく、花札は若い衆の遊びだ。

ここにスキーマからの逸脱が生じている。そうすることで、くすぐりになっているのだ。

野暮ったいやり方ではあるが、このようにして、噺自体にどのようなくすぐりがあるのかを洗い出すことができる。

その結果、合計で80以上のくすぐりが見出され、さらにセリフの横に「花魁(おいらん)スキーマ」や「スクリプト番号A-2」といった言葉が並ぶ、とても仰々しい表が完成した。

人物転換時の休止の長さ

噺の骨格ともいえる構造が見出されたので、次に具体的にどのような語りの方略(演じ方の工夫)によって噺を肉付けしているのかを詳細に見ていくことにした。最終的には、見出されたすべての語りの方略をカテゴリに分けて整理し、一覧表にまとめ挙げることになる。

紙面の都合もあるので、ここでは語りの方略の一例として、上下(かみしも)を振る動作によって人物が転換してから、発話するまでの時間に注目した分析を見ていこう。

次に挙げる二つのやりとりには対応関係があり、やりとりがこの場でのスクリプトを作り出している。一つ目は隠居が在原業平(ありわらのなりひら)を知ったかぶりする部分で、二つ目は隠居が業平の歌を知ったかぶりする部分である。いずれの場合も発話までに休止が見られる箇所を「/ /」で示し、区別のために「/」と「/」の間に番号をふった。

 

スクリプトA-1

「いちばんいい男ってえと、とっても有名な人がいるって」

隠居「/1‐(1)/そうそう。有名だねあの人は」

「/1‐(2)/なんていいましたっけあの人」

隠居「なんとかいったね」

「知ってますか?」

隠居「知ってるよ」

「なんていうんですか」

隠居「んー、あれはね/1-(3)/まあ、お茶お上がり」

「いやあ、お茶はどうでもいいんですよ」

 

スクリプトA-2

「その人が作った歌がありますよね」

隠居「/2‐(1)/あ、ああ、うん、そうだな」

「/2‐(2)/なんていいましたっけね」

隠居「ん、な、なんとかいったね」

「/2‐(3)/有名ですか」

隠居「有名だ」

 「/2‐(4) /知ってますか」

隠居「知ってるよ」

「なんてんです」

隠居「/2‐(5)/まあ、お茶/2‐(6)/」

「お茶はどうでもいいんですよ。ああ、また思い出しましたよ」

スクリプトA-1にある1‐(1)と1‐(2)では、ほぼ同じ時間長の休止がある。それに対して、スクリプトA-2では、2‐(1)に比べ、2‐(2)の方が長い。この休止からは金のとまどいの様子が感じ取れる。

だが、スクリプトA-2で秀逸なのは、精緻(せいち)に組み立てられた登場人物間での発話(およびその休止)の相互関係にある。

金の発話までの休止の長さは2‐(4)>2‐(3)>2‐(2)の順になっており、次第に大きくなる金の疑念が強調される。

秒単位で埋め込まれる語りの方略

一方、隠居の方はスクリプトA-1ではみられた休止がなくなっており、自信を持って知ったかぶりをする反応が印象づけられている。

ところが一転2‐(5)で休止が取られ、これが隠居のそらっとぼけた感じをじわじわと演出している。
さらに2‐(6)では、隠居の発話の途中、次の金の発話に進むという落語に特徴的な表現手法が見られる。これが隠居の発言を遮ったことで金のツッコミの勢いを感じさせることになる。

細かく見てみると、ツッコミの言葉も「いやあ」の部分がなくなっており、最小限の情報だけが提示されている。こんな省略の表現が成立するのは、スクリプトA-1ですでに類似したやりとりが示されているからだ。観客の頭の中には前のやりとりでのスクリプトが保持されているので、次の展開が予期され、発話が省略されても理解できる。

逆に言えば、単純に反復するのを避けることによって、同じスクリプトにもかかわらず観客にとって新鮮な表現に生まれ変わる。

以上のように、わずかほんの十数秒のあいだに、観客を楽しませるために多彩な語りの方略が使われていることがわかる。

また、こういった語りの方略は、スクリプトに立脚しており、噺の論理構造と不可分の関係にあることが読者にも理解できるのではないだろうか。端的に言えば、噺の論理構造と語りの方略の双方に楽しさの妙があるのだ。

とはいえ、今回見てきた語りの方略は、あくまで演者と目の前にいる観客群とのあいだの緊張関係の中で創出されたものである。だから、ここで取り出してきた要素を単純に組み合わせるだけでは活き活きとした噺が再現されるわけではない。この点には十分注意願いたい。

あえて野暮を貫く

この研究をめでたく卒業論文として発表したときのこと、聞いていた先生の一人から「小三治だからそうなったんじゃないのか」という指摘があった。

確かにその通りだ。ここでの議論は、落語一般のことについて言及していない。得られた知見もきわめて限られている。だから、いつもこうしているとか、これが落語に普遍的な方略なのだと主張しようと思っているわけではない。あくまで「ある時こんな口演があった」というだけのことだ。

だが、こんな野暮ったい方法であるにしても、実際に構造を記述し、語りの方略を逐一調べ上げていくことは無駄ではないと信じている。それは、この研究が観客の理解と楽しみを導く噺家の巧みなワザについて見通しを与え、落語のおもしろさがいかに生まれてくるのかをより深く理解するための礎(いしずえ)になるからだ。

今回は、落語のスクリプトがどのように生み出されており、そこではどんな語りの方略が使われているのかをみてきた。

次回は、いわゆる落語の間(ま)と呼ばれるもののうち、観客の笑い終わりを待つときの間について論じていく。

2015年1月19日更新 (次回更新予定: 2015年2月20日)

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