前回は、落語『千早振る(ちはやふる)』を事例に取り上げて、語りの方略の実際をとくに笑い終わり待ちの間(ま)に触れて見てきた。
今回は、落語における師弟関係とその背景にある学びの哲学について論じていく。
「知る」のレベル
「春はパステル」。最近、女性誌を読んで知ったことだ。ふだん女性誌を読むことはまったくないが、気分を変えるのにいいから、というので流されて買ってみた。
そこには、「3着でOK究極着まわし術」とか、「奥二重さんのメイク術」というのがある。知らない世界が広がっていて、たくさんのことを学ぶことができた。こういった雑誌があることも、世の女性たちがこの雑誌からトレンドをつかんで、服や靴を選ぶことも知っていた。ただ、それが一体どんなものなのかは今まで何も知らなかった。
この例が物語っているのは、人間が学ぶといったとき、同じように「知る」「わかる」という言葉で表されることのなかに、いくつもの違ったレベルがあるということだ。
噺家(はなしか)が「知る」「わかる」というとき、どのレベルのことを指しているのだろうか。
自己内対話と芸への昇華
噺家は噺を教わって初めて高座にかけることができる。逆に言えば、新しく噺をしようと思えば、基本的には誰それの師匠に教わりに行かなくてはならない。しかも、噺を教わるのは直接の師匠以外でもよい。より正確に言えば、師匠から直接教わるのは初めの二、三席で、そのあとのほとんどの噺は師匠以外からしか学べない。
しかも、落語の世界には袂(たもと)を分かついくつかの団体が存在しているのだが、この境を越えて教わりに行くということも日常的に行われている。
読者にとっては、この学びのあり方は当たり前だと感じられるかもしれない。だが、これはかなり特殊である。
考えても見てほしい。これが企業なら、境を越えて教えるというのは、あたかもライバル会社に商品をもらいにいくようなものだ。普通であれば、それが許されるはずがない。事実、世界には多くの徒弟制があるが、たとえ請われても業の本質部分を教えてしまうことなどめったにない。
日本でも、芸事や武道では師匠から弟子への一子相伝であることが多かった。しかし、落語では違う。なぜか。
私には、その答えは噺家共同体に共有された「学びの哲学」にあるように思えてならない。
その哲学とは、噺を教わっただけではまだ噺を知ったことにはならないというものだ。
もっと積極的に言えば、教わった噺を実際に口演し、自分なりの工夫する過程で身心ともに噺を理解できるという見方だ。試行錯誤を繰り返して、借り物だった噺はいつか自分自身のものになる。このとき、初めてその噺を知ったことになる。
だから、教わることはスタート地点に過ぎず、そこから始まる自己内対話こそが噺を知っていくことに外ならないのだ。
そうしていくつもの噺を身に付けていくとき、噺固有のことがらは捨象され、いつまでも残る核が、いずれ昇華して芸になる。
落語家3人のテキストマイニング
このような学びの哲学をもっていれば、教えるかどうかにこだわってもしょうがない。教わった本人が、そこから長い学びの旅を始めることのほうが大事ということになる。この学びの哲学が、直接の師弟関係を超えた噺の交流を可能しているのだ。
実際に、四代目柳家小さん(やなぎや・こさん)、五代目柳家小さん、八代目桂文楽(かつら・ぶんらく)の対談についてテキストマイニングを行った研究(*1)では、多くの発言をつなぐ中心的な語として3人に共通していたのが「自分」だった。
ここでいう「自分」とは、演題の演出を考える主体としての噺家自身を指し示す意味で用いられている。
具体的な発言を見てみると、五代目柳家小さんは、師匠(四代目柳家小さん)に教わったこととして、
「自分がしゃべる以上、すべて自分の責任だ。こういうふうに教わりましたから、なんてえいうのはダメだ。だから自分で研究しなくちゃいけねえ……」
と述べている。なるほど、この見方自体を教わるのだ。
噺家共同体での学びという観点から見れば、噺というのは長い歴史を通して継承してきた財産でもある。ある意味では、今はもう自分のものになった噺も、決して自分だけのものではない。
自分が教わったように、自分も教える。前の世代に頂き、次の世代に残す、噺とはそういう性質のものだと感じるのは自然なことなのかもしれない。
今回は、噺家共同体における師弟関係と学びの哲学を論じた。
次回は、落語の現代性について論じる。なぜ古典落語はよく見聞きするのに、現代落語という表現はそれほど定着しないのか、その理由を考えてみたい。
引用文献
(*1)野村亮太・丸野俊一(2009) 熟達した噺家の語りに〈核〉として現れる中心的な概念―共起ネットワークマッピングによる噺家の信念地図の作成― 笑い学研究,16,12-23.
2015年3月20日更新 (次回更新予定: 2015年4月20日)
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