やわらかな知性~認知科学から視た落語~

第4回 噺の世界に引き込まれるメカニズム

前回は、適切な制約はあやふやな環境での学びを可能にするが、一方で芸を磨く過程では制約を緩めて探索することも必要になると論じてきた。

そしてこれまでの3回にわたる連載で、文字の世界に落とし込みにくい活き活きとした落語像を思い描いてきたが、今回からは、落語の見方を前提にした議論に入る。

現象の素描

まずは、少年がステッキを振ると、すかさず水が飛び出るという場面を想像してみてほしい。

それは魔法だ。ものすごい数の水分子が不思議な力で一斉に突き動かされ、塊になって飛んでいくという魔法である。

熟達した噺家(はなしか)がやっていることも、私には魔法のように見える。

この話をするとき、私はいつも先代の柳家小さん(五代目/やなぎや・こさん)師の『にらみ返し』を思い出す。

掛け取り(月々の支払いのつけを取りに来た店の者)を追い帰そうと目論む男は、じいっと一点をにらんだまま動かない。手にしたキセルをゆっくりと口に持っていって吸った後、灰を落とすや否や、掛け取りをにらむ。

にらまれた掛け取りは、ひぃっと息を飲む。

それだけで、もう、なんともおかしいのだ。

この魔法には、もはや言葉さえ必要はない。見ている側の身体感覚としては、呼吸だけで、えいっと気持ちよく投げ飛ばされてしまったかのようだ。

それもあまりに見事に放り投げられたものだから、なすがまま、笑うしかない。ああ奇跡だ。これはもう説明のしようがないと、ここで思考停止をするのが落語の健全な楽しみ方だ。

だが、野暮だと知りながらあえて問おう。この主観的な感覚は、どんな現象を反映しているのだろうか。

この感覚は、噺家と観客が同じ場を共有しているところで起こる。だから、順当に考えれば、観客が噺家の表現にぎゅっと捕まってしまったということになる。

言い換えれば、ちょうどよいタイミングでおもしろいと感じるように、一つひとつの表現によって、観客の思考の流れがコントロールされているともいえる。

高座の噺家は客席の観客に直接触れられず、100パーセント狙い通りには動かすことはできないという意味では、噺家が観客をガイドしているといった方が適切かもしれない。これがもっとも素朴な現象の素描である。

核心に迫る指標の発見

ここから探求が始まる。

荒く描き出されたこの現象を実証するときには、いくつかの基準をクリアする必要がある。

第一に、絶対にはずせない条件は、実際の落語会で起こっていることでなければならない。認知科学や心理学の場合には、どんなに美しいモデルや理屈でも、それが現実を説明できなければ意味がないからだ。

第二に、客観的で定量的な方法で確かめることができることだ。定量的でないと同じ基準で比較ができない。比較が成立しないと、ありなしという二分法的な議論しかできなくなる。

しかし、定量的であるだけでもだめで、ここに客観的な方法で測定できるという条件が加わる。主観的な評価は、評価者の状態(ちゃんと寝たか、朝ごはんを食べたかどうか、など)や発達(経験によって観る目が養われる、老いて認識できなくなる、など)で変化してしまう可能性が、いつも付きまとうからだ。

とはいえ、こんな条件をうまく満たすことができる「ものさし(指標)」は、簡単には見つからない。

私が東京へ来て以来、何に注目すればいいのか朝から晩まで考え続け、10ヶ月ほどが過ぎた2013年2月13日のことである。午前7時頃に目を醒(さ)ました私は、不思議なことに観客の「まばたき」が意味のある指標になると直観していた。

実際に、まばたきに注目しながら、落語を聞く観客の様子を映した映像を見直してみると、落語を聞いているたくさんのお客さんが、同じタイミングでまばたきしているように見える。

まばたきがどんな働きをしているのかを調べてみると、どうも情報処理に関係しているらしい。

入ってくる情報の重要性を暗黙のうちに判断して、重要な情報はちゃんと見て取り入れ、頭で処理している時には、不必要な情報をまばたきでシャットアウトしているというのだ(〈*1〉Nakano et al., 2009)。

もちろんまばたきには、瞳の乾燥を防ぐ働きもあるが、ヒトの場合、そのために必要な回数の数倍から数十倍の頻度で起こっている。認知的な機能も同時にこなしていると考えた方がうまく説明がつく。

認識されない気づき

今になって調べてみると、私が「まばたきの啓示」を得る前日に、小さん師の『にらみ返し』を見ていたことが記録してあった。昼間は大学に行き、普段どおり論文を読んでいた。夕方からは高円寺で開かれた落語会に出かけたらしい。

このときは、観客同士のまばたき反応が同期する現象に重大な意味があることを、私はまだ気づいてはいなかった。

しかし、落語において演者と観客が織り成すシステムについて、新たな理論を構築するための種は、このとき確かに芽吹き始めていたように思う。



今回は、リアルな状況の観察を通して、現象を実証していく上で重要なものさしを発見したことを述べてきた。しかし、素朴な現象の素描を実証的な研究のレベルにまで高めていく過程には、また別のステップが必要である。

次回は、現実の状況で見出された気づきが、どのような議論を経て精緻な説明になりえたのかを述べていく。


参考文献

(*1)Nakano, T., Yamamoto, Y., Kitajo, K., Takahashi, T., & Kitazawa, S. (2009). Synchronization of spontaneous eyeblinks while viewing video stories. Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences、 276(1673), 3635-3644.

2014年8月20日更新 (次回更新予定: 2014年9月20日)

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