マンデラ × アインシュタイン
今回のテーマは「教育」です。人間が行きていく上で不可欠であり、社会や政治の「永遠の課題」とも言えるのが子どもたちにいかに上質な教育を公平に受けさせるかということでしょう。誰もが通る道でもあり、皆が「一家言持っている」万人が関心を持つテーマであるとも言えます。
取り上げる名言は以下の二つです。
●「教育は世界を変えるために使える最強の武器だ」”Education is the most powerful weapon which you can use to change the world.”:ネルソン・マンデラ)
●「たったひとつ私の学習を妨げたのは、私が受けた教育である」(”The only thing that interferes with my learning is my education.”:アルバート・アインシュタイン)
教育の重要性については、それこそ多くの先人たちが繰り返し強調していることです。あくまでも一つの例ということになるのが、冒頭のネルソン・マネデラの言葉です。人類を動物と最も違うものとしているのは知的能力であり、それを高度化するのが教育だと考えれば、教育によって人は人となり、当然「世界を変える」ためにも高度な教育を受けた人が多ければ多いほどその原動力となっていくのは当然のことといえます。
特にマンデラ氏が育ったような、人種差別が存在したり、比較的貧しい国や環境下においては、万人が平等に教育を受けられません。最低限の教育が受けられる環境を整えることは、社会や大人の責任
において実現すべきことと言えるでしょう。
このように、人類にとっての教育の重要性については疑いないところではありますが、それが場合によってはマイナスの要素として働くことがあります。前回に続いて登場のアインシュタインですが、その言葉のメッセージは「教育は邪魔だ」ということです。それではどのような場面でそれがマイナスの要素として働いてしまうのかを考えてみましょう。
希有な人材は「排出」される
世の中を変えて来た人の多くは、「その時代の教育に合わなかった人たち」です。世界では、アインシュタインをはじめ、エジソン、リンカーン、シェークスピア、ヘンリー・フォードにスティーブ・ジョブズ等、学校で「落ちこぼれ」たり、中退したりした人たちから世界を変えるリーダーが多く生まれています。このような状況を見て、「偉大な改革者を育てるにはいまの教育制度ではだめだ」という「教育改革論」を多くの有識者が唱えることは、昔から繰り返されてきた構図です。
ところがよく考えてみれば、上述のようなイノベーターというのは、むしろ「教育や学校がダメだった」からこそ、それを反面教師とし、反骨精神というエネルギーに変えて出てきたという解釈もできるのではないでしょうか? つまり、教育はダメであればダメであるほど、時代を変える希有の人材はそこから輩出(排出)されやすくなるということです。
教育のジレンマ
外部から「先生」によって与えられる教育とは、所詮「旧世代の叡智の集大成」ということになりますから、次代を作っていく子供や若者にとってみれば(特にこれまでとは違う時代を築こうとしている人たちにとっては)多かれ少なかれ「余計なお世話」ということになります。
「教育改革論」を唱えている(世論をリードしていると考えられる)人たちのほとんどが、その当人たちが批判の対象としている「ダメな教育」から育ってきていることも強烈な皮肉と言えます。
もし「次代のイノベーターに最高に歓迎される理想の教育」が実現されたとしたら、そこで「最優秀の成績で」卒業した人たちが本当に世界を変える人たちになっていくのかどうかは、はなはだ疑問です。これが「教育のジレンマ」とでも言える永遠の課題なのでしょう。
2018年4月1日更新 (次回更新予定: 2018年5月1日)
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