『立川談志自伝 狂気ありて』の「まえがき」全文公開

 

まえがき

 

 立川談志、落語家として、己(おのれ)として充分に生きた。

〝いつ死んでもいいや〟と十年前、いやもっと前、二十代から思っていた。ホントかネ。いや、まったくの嘘(うそ)でもない。

 この俺は痩(や)せた身体(からだ)のエキセントリックな子で、その頃世間でいわれていた〝不治(ふち)の病〟の「肺病」にかかっていた人間の体形とも似ていたし、〝二十代で死ぬかも……〟と本気で考えていた頃もあったのだ。

 本を書く理由は「整理」ともいえる。人間誰しもそうであろうと思うが、当然くる人生の終焉(しゅうえん)に対する己が身の「整理」、これであろう。

 俳優で恩田清二郎(おんだせいじろう)という人がいた。その友人である森繁久彌(もりしげひさや)さんから昔聞いた話に、恩田さん曰(いわ)ク、

「ネエ君、人生、全部整理をしたら、面白いことが何もなくなっちまった」

 人生の整理は、生きてきた己の雑事を含めてそれが一つの責任であるし、生きてきた己の「一巻(いっかん)」ということだろうが……。

 この言葉が何処(どっ)かに残っていた。立川談志に、である。

 だから、ということじゃあるまいが、「整理」をせずに生きてきた。放っときゃ、周囲(まわり)をメチャメチャにする癖(へき)の俺様。手前(てめ)えの部屋、それも数ある生活(家が五軒ある)だし。ナニ、己の部屋ばかりか、例えば地方へ公演に行く。大した荷物はない。けど、その荷物をホテルの机といわず、鏡の前といわず、全部広げる。〝広げる〟といっても、それは結果で、〝そうなってしまう〟のだ。ナンダカワカンナイ。

 弟子は大変、これに慣れないと家元に連れていってもらえない。

 

 ま、こういう書き方をするとキリがない。つまり言い訳だ。ついでにいうと立川談志の人生は「全部言い訳」といっていい。

 で、そのネ、メモという名の資料、また、頭ン中に入っている記憶(これがまた凄〈すご〉い、よく覚えているのだ)が山の如(ごと)くある。

 他からは、〝記憶のいい人だなァ、凄いや〟といわれてきた。己でも不思議であった。忘れないのだ。で、この記憶のいい家元を、小生(しょうせい)の昔のマネージャーであり、事務所の社長でもあった友人は、一(ひ)と言(こと)で言いやがった。

 〝語り部の家系なんだよ〟とネ。

 おっどろいたネェ。語り部の家系とは知らなかった。いわれてみると、我が母親は、〝よくも〟と思うくらい昔のことを識(し)ってケツカルし、よく喋(しゃべ)る。してみりゃ遺伝か、語り部か。ま、それもいいさ。

 

 でも、感性はいい、いえ、特殊である。プライドが高いの何の。そのくせ糞(くそ)まみれになれる。〝人生洒落(しゃれ)〟と、マトモな奴(やつ)らを軽蔑(けいべつ)して生きてきた。

 

一つ出たホイのヨサホイノホイ
一人娘とヤルときにゃ
両親(おや)の許しを得にゃならぬ

 

 え?〝もういい〟? そうかい、そうだろうな。

 立川談志の想い出という名の未練を書き残しておく。能書きは長いがそういうことだ。

立川談志