(ETV)無差別爆撃を問う 〜弁護士たちのBC級横浜裁判〜

8月24日(土)ETVにて、間部俊明弁護士を委員長とし、神奈川弁護士会が立ち上げた「BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会」の活動を追った番組が放送されました。

再放送

●日時:8月29日(木) 午前0:00〜午前1:00  詳細はこちら

BC級戦犯が裁かれた「横浜裁判」を追った書籍はdZEROからも出版されています。まえがきの一部をご紹介します。

 法廷は死刑判決の嵐だった。旧日本軍の兵士ら千三十九人が起訴され、約一割の百二十
三人に極刑が宣告された。
 のちに半数以上が死刑から減刑となったものの、五十一人が戦争犯罪人として刑場の露
と消えた。そのうち約七割に当たる三十六人は、私と変わらない二十代や三十代だった。

~中略~

 第一章では、米軍による長崎への原爆投下で妻子ら親族七人を失い、自身も被爆した海
軍の三十代男性が、米国人の捕虜を虐待死させた罪で死刑になったケースを取り上げる。
現場は、現在の長崎県佐世保市が舞台で、本当の加害者は別人だった、「人違い」の可能
性を追う。
 第二章では、東京・渋谷の陸軍刑務所に収監中の米兵約六十人が、米軍の空襲で焼死
し、所長や二十代の看守らが避難の責任などを問われて死刑判決を受けたケースを紹介。
反戦活動で逮捕され、この刑務所に当時いた元首相の吉田茂の動向や関与にも言及する。
 第三章では、南太平洋のニューギニアの離れ小島に流れ着いた米兵を殺害した罪で、海
軍の三十代男性が死刑になったケースを読み解く。処刑を命じた責任者の現地司令官が戦後いなくなり、残された部下に責任が転嫁されていく構図に着目したい。
 第四章では、米軍が遺族に返還しなかった戦犯の遺骨の行方をたどる。
 第五章では、横浜裁判の実態を検証する神奈川県の弁護士の取り組みを報告する。
 第六章では、今なお戦犯裁判の記録を黒塗りで開示する日本と、フルオープンの米国や
ドイツの対応を比較し、情報公開のあり方を考えたい。

野見山剛『若者たちのBC級戦犯裁判 さまよう責任と埋もれた無念』