進化するコンピューター将棋
じつは私は昔から将棋が好きで、現在、棋力はアマ三段である。それで、しばしばパソコンで将棋を楽しむ。コンピューター将棋で最初に遊んだのは、20年以上前、かのファミコン(ファミリーコンピュータ、任天堂発売)で発売された将棋ソフトだった。そのソフトは、かろうじてルールどおりに駒を動かせるくらいで、将棋を少しでも指せる人からすると、弱くて仕方がなかった。
ところが、1990年代になってから、将棋ソフトは劇的に進化し、強くなった。2000年代になると、アマ三段ではまったく勝てなくなった。そしてここ数年はプロ棋士ともいい勝負をしている。
ちなみに、オセロはすでに人間よりコンピューターが圧倒的に強い。チェスもコンピューターが人間の世界チャンピオンに勝ったことがあり、優勢だ。手数が膨大な碁は、まだまだ人間のプロの方が強いが、アマだと勝てないレベルになってきているそうだ。
米長元名人の秘策
今年の2月に、米長邦雄(よねながくにお)という将棋連盟会長で永世棋聖(えいせいきせい)という称号を持つ棋士が、コンピューター将棋の大会で優勝した最強のソフト「ボンクラーズ」と公式に対戦した。「電王戦」と称された歴史的なこの対局、米長会長は結局、「ボンクラーズ」に敗けてしまうのだが、対局後、この対戦について米長会長自身が記したのが、今回紹介する『われ敗れたり』という本だ。
この本には、米長会長が勝負に臨むにあたって考えたこと、取った作戦、対戦中や敗北したあとの心境のほか、どうしてあのときこの手を指したか、という解説が棋譜つきで書かれてある。米長会長は、コンピューターとの対戦が決まると、酒をやめ、将棋ソフトを家に持ち込んで、徹底的に研究したという。
そして本番、後手(ごて)だった米長会長の一手目は「6二玉」。これは、人間同士の対局では見たこともない、絶対に指さないような手だ。コンピューターは、計算で「詰み」を読める終盤が圧倒的に強く、人間がそれに対抗するには、序盤で有利な状況をつくり上げるしかない。そう考えた米長会長が、対「ボンクラーズ」用に用意した「秘策」がこの手だった。
この手によって序盤は米長会長有利で進んだ。しかし中盤、ほんの少しの隙(すき)を突かれて、一気に崩されてしまい、結局は負けてしまった。この対戦は、インターネットの動画サイトで配信されていたので私も観ていたが、コンピューターが勝ったということに対しては、驚いたと同時に、なんともいえない気分になった。
米長会長は、私たちのような将棋を少し知っている人間からすれば、伝説的な、明らかに雲の上の人。その人にコンピューターが勝った、というのは、時代の明らかな転換点だ。将棋の世界も、これから変わらざるをえなくなるだろう。
人間に最後に残る仕事
天気予報の世界では、この「転換点」は、とっくの昔に訪れている。私は「気象予報士」などと名乗っているが、正直に言うと、実際に数値を計算し、気象を予測しているのは、何十年も前からコンピューターだ。そこで人間が何をやっているかというと、コンピューターが出してきた計算結果のズレを修正する程度。
しかし、人間にしかできない仕事がある。それは「判断」だ。コンピューターが出してきたデータをどのように使うか、本当に使っていいのか、責任をもって判断する。こればかりは人間にしかできない。コンピューターがどれだけ発達しても、最後まで「判断」という仕事が人間に残ると思う。
将棋の世界では、プロ棋士は練習や研究にコンピュータソフトを使うことが当たり前になっているという。また先述のように、チェスやオセロなどはコンピューターが人間より強い。将棋ソフトもこれからどんどん進化していくだろうし、コンピューターと闘うのは、自動車とかけっこをするようなもので、生身で勝つことはもう無理、という時代がもうすぐ来るだろう。
そうなったとき、コンピューターに生身で挑み続けるのは確かに素晴らしいのだが、もう一つ、人間の「判断」という能力を活かした新しい地平を切り開いてみてもいいと思う。
たとえば、コンピューターと人間がコンビを組んで対戦するというのも面白い。コンピューターが計算して出したいくつかの手と、人間が直観で導いた手を、人間が吟味(ぎんみ)し判断して指す。どちらがうまくコンピューターを「乗りこなす」ことができるか、が問われてくる。人間だけの対戦ではたいしたことのない棋士が、ものすごく強い名人になるかもしれない。「プロ」の概念が変わり、将棋の新しい世界が広がるのではないだろうか。
(次回公開予定:10月1日)
2012年9月1日更新 (次回更新予定: 2012年10月1日)
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