イノベーターの至言

第8回 「自分より上」がわかるか否か

今日の至言

“Mediocrity knows nothing higher than itself; but talent instantly recognizes genius.”
「凡庸な人は自分より上のものがわからないが、才能ある人は天才をすぐに見分ける」
Arthur Conan Doyle, “The Valley of Fear”
(アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』、筆者訳)

メーターが振り切れて理解不能

 今回の至言は、「名探偵シャーロック・ホームズ」シリーズの作者、アーサー・コナン・ドイルが『恐怖の谷』に出てくるフレーズです。マクドナルド警部という、優秀な「同業者」がホームズの卓越した才能を見抜いて恥とも感じずに支援を依頼した場面で用いられています。

 前々回のアインシュタインやシャネルの言葉に代表されるように、イノベーターの歴史は、彼らの主張を理解できない凡庸な人たちとの戦いです。そのような戦いがなぜ起きるのか、そのメカニズムを端的に表現したのがこの言葉と言えます。

 スポーツでも芸術でも、あるいは身近な例を考えてみればわかりやすいと思います。自分がまったくの素人の分野では、自分よりレベルが上の人たちについては「メーターが振り切れて」しまって、「すごい人」(才能ある人)と「ものすごい人」(天才)との区別がつかないでしょう。ところがある程度極めた分野であれば、自分よりはるかに実力が上のプロを見たときに、「すごい人」と「ものすごい人」を区別したり、「すごい人のすごさ」が理解できるのではないでしょうか。

凡庸な人がよく使う「時期尚早」

 イノベーションの世界にあてはめてみれば。凡庸な人は、(良くも悪くも)「常識にとらわれた人」です。常識と(自分の理解を超えた)非常識との間に線を引いて、その外側に対しては「常識の外側」であるとみなして理解することもできなければ理解しようとする姿勢すら見せません。また、何かの拍子にこの常識の枠の外形の線の位置が変わったりすると、手のひらを返したように、それが昔からの常識であったかのように振る舞ってしまう(しかし本人にはその自覚がない)という特徴があります。

 イノベーターに対抗する概念として本連載で用いてきた「イミテーター」という言葉がここでいう凡庸な人に相当します。

 イミテーターは文字通り、競合他社を模倣することは得意ですが、一方で、「日本(業界)で誰もやったことがないこと」には理解が及びません。その結果、「時期尚早」などという言葉で拒絶し、その新しいアイデアを採用することはありませんが、競合の業界リーダーが採用したとたんに態度が一変したりします。

 こうした現象は「人の才能や格を見抜く」場面でもしばしばみられ、それを見事に表したのが冒頭の至言です。

凡庸=デジタル思考、才能=アナログ思考

 古来続いているイノベーターとイミテーターの対立ですが、両者はつねに非対称です。つまり対立相手に対する評価が同じではないということです。イミテーターから見たイノベーターは、「理解できない」「非常識」「扱いにくい」といったものであるのに対して、イノベーターから見たイミテーターは、「退屈」「常識の囚人」となるでしょう。

 これを私なりに解釈を加えてみると、その道で一流と言われる人(ドイルの言葉でいう ”talent” です)は、その道の「座標軸」を持っている人のことです。そこが「常識という外枠」で考えている人との違いです。「座標軸」を持っていれば、自分の理解が届いている範囲の外側も「外挿(がいそう)」(わかっていることから延長して予想すること)によって理解することができます。

 別の言い方をすれば、常識に捉われている人は「常識という線」を引いて、「内と外」というデジタル的な思考をするのに対して、「座標軸」を持っている人は座標軸上のどこの位置も見るようなアナログ的な思考をするということです。

 ある一定のレベルに達してその道の座標軸を持つ人(才能ある人)は、たとえ自分のほうが格下であったとしても、「すごい人のすごさ」(天才のすごさ)がわかるというのが冒頭のドイルの言葉ということになるでしょう。

2013年1月22日更新 (次回更新予定: 2013年2月20日)

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