落語的了見

第15回 テロップ

あの空間が嫌い

 カラオケに物申す。

 いま、カラオケによって誰でも気軽に歌が歌えるようになった。だが私はあの空間が嫌いである。飲み会があると必ずといっていいほどカラオケ屋に流れる風潮が嫌なのだ。

 昔はカラオケといえばスナックでやるものだった。つまりその空間には知らない客もいるわけで、会話に夢中になっている客もいる。それをやかましい歌で妨害したら迷惑だ。だから歌うときはみな真剣。知らない客が自分の歌に振り向くか、これはひとつの勝負であった。

 ただ歌うだけでも状況判断が必要だった。状況判断ができない奴(やつ)はひとりよがりの歌を歌ってまわりから迷惑がられていた。もちろん、状況判断ができないのだから、自分が迷惑がられていることにも気がつかない。よい店は状況判断ができるよい客が集まっていた。ダメな店はやはり馬鹿ばかり集まってきた。そういう店はママからして馬鹿で、ある店では片隅で男女が別れ話をしているのに、ママが脳天気に「ヤングマン」なんかを歌っちゃったりしていた。

 「知らない人の前で歌うなんて嫌だ」とたいていの人はいうが、そういう人は歌いなさんな。カラオケボックスなら知り合いの前だから気軽に歌えるからいい、ということだろうが、あなたの歌なんか誰も聴いていないのである。

騒ぐ前に話せよ

 カラオケボックスで盛り上がるには、みながノレる歌を歌うことが肝心というが、要は馬鹿騒ぎのきっかけにしかすぎない。馬鹿騒ぎだろうが楽しければいいじゃないかということだろうが、ただでさえコミュニケーション不足の世の中、「騒ぐ前に話せよ」だ。せっかく酒の席で心が打ち解けても「二次会はカラオケです」となり、馬鹿騒ぎになってしまう。

 会社の上司が若い子のウケをねらってAKBなんかを歌っている姿は情けなさすぎる。まあいいか。歌って馬鹿騒ぎでもしなければコミュニケーションがとれないところまで時代はきたのか。

 好きな人が集まって、いろいろな歌を披露しあう空間は有意義な空間だとは思う。私は懐(なつ)メロが好きなので、懐メロ仲間とたまに行くカラオケは楽しい。つまり私は「もっと歌を大事にしなさい」といいたいのである。

なぜ歌手は抗議しない?

 百歩譲ってカラオケはよしとしよう。だがモニターを見ながら歌うのは嫌だなあ。友達も全員モニターを見ている。なんなんだあれは? 歌っている人の顔を見なさい。もしピアノ演奏をしているときにみながそっぽをむいていたら嫌でしょ。歌手がステージで歌っているときに、舞台横にモニターが現れて、そこに歌詞が出て客が全員モニターを見ていたら、歌っていられないよ。

 そうそう、テレビがすでにそうなっている。歌詞がテロップで出る。気がつくと歌詞を読んでいる。歌手からすれば歌っている姿を見てもらいたいはずだ。もし私がテレビで落語をやって、落語の台詞がテロップで出たら、すぐにテレビ局に抗議するぞ。なぜ歌手はしないのだろう?

 世の中、親切すぎる。歌舞伎(かぶき)の音声ガイドも無駄だ。多少わからなくても自分の耳で聴いて自分の目で観て、判断すればよい。全部理解できなくても、感じることはできるはずだ。落語に音声ガイドがついたら私は落語なんか語りません。

 アメリカに行った際、ミュージカル「マンマ・ミーア!」の舞台を観たが、もちろん英語だからなんだかよくわからなかった。でもその舞台が素晴らしいかどうかはわかった。みな、外国のミュージシャンの歌を楽しんで聴いているじゃないか。外国人のアーティストのライブに行って歌詞カード見ている馬鹿がいるか? 意味なんかたいしたことではないのだ。

余計な情報は洗脳につながる

 絵画展の音声ガイドなんかは最悪である。絵画こそ感じるものだ。意味なんかどうでもよい。その作品の時代背景や描かれた意図が知りたければ、見終わった後に本で調べればよい。わかった後にまた鑑賞すれば、また違った感じ方をする。音声ガイドを聞きながら感じられるはずがない。

 以前、あるラジオ番組の取材で美術館に行ったときのこと。「説明係」なる者が現れ、作品について事細かに解説しはじめた。これはたまらんと、私は説明係をスタッフに託して早足で先に行き、逃げた。

 終わってから、同行した番組ディレクターが激怒した。「志らくのためにわざわざ説明してくれていたのに、なんでいなくなるんだ、失礼じゃないか」。何言ってんだ。私はその作品を自分の感性で感じて、それをリスナーに伝えたかったのだ。説明係が来たのならば、全部見終わってから解説してくれればよい。そう取り計らうのがディレクターの仕事だろうに。

 余計な情報は洗脳につながるのだ。「この作品は作者にとって駄作です」なんて言われたら、そう思って見てしまうではないか。駄作かどうかは自分で感じたい。作者にとって駄作でも、見る側にとって傑作という場合だってある。それが芸術というものなのだ。

 次回は、現代社会にはいたるところにこの洗脳があるという話をします。カラオケの話はどこへいっちゃったんだ!

2013年3月10日更新

B!

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