街中の軍隊
2年前(2012年)にミャンマーを訪れ、ヤンゴンから北へ1時間半ほどのバゴーという都市へ向かって幹線道路を走っていると、道の脇に数台の真っ黒な装甲車と、やはり真っ黒な制服を着た数十人を数える軍人が現れた。日本では自衛隊員やその車さえ、直接にはほとんど見たことがないから、基地でもない普通の街中で軍隊を目の当たりにしたことは、素朴な驚きであった。
太平洋戦争が終わってから68年。戦争を直に体験した人々もだんだん少なくなってきている。戦中戦後の多くの日本人にとって、戦争に対するイメージとは、自らの実体験に基づくものであったに違いない。戦地に赴いた人なら、現実の戦闘や捕虜(ほりょ)となって過ごした苛烈(かれつ)な日々。そうでない人々でも、空襲や疎開生活など、戦争とは、自己の生活と密接不可分の生(なま)のものであっただろう。
他方で、戦争に関する昨今の論調を見ると、戦争とは机上の現象であって、国際関係を語るための単なるキーワードといった感がある。各国間の対立に伴う戦闘を見る態度もどこか構造主義的で、各国家の置かれている立場とか、国益を保持するための戦略・戦術といった大局的な視点からの論評が多く、繰り広げられている戦闘が、どれだけ人々を恐怖に陥れているかとか、どれだけ飢餓をもたらすかという、ミクロな視点からの論調が、相対的に少ないように思える。
無論、大局的視点は大切である。国の将来やあるべき外交を検討していくのには、大局的に物事を捉えることは不可欠であり、少数の不利益を捨象することも、戦略決定のためには、時として必要なのかもしれない。
しかし、戦争といった重大事については、ミクロの視点も、大局的視点と同様に大切である。なぜならば、戦乱が時として人々の生命や身体の安全を奪うものである以上、人の生命よりも国家利益を優先させてもよいという法など、どこにもないからである。
飲み込まれる生命
1988年(昭和63年)という今からさほど遠くない時代に、ミャンマーで大きな戦乱が起こった。当時のビルマ式社会主義体制やその支配体制に大きな不満を持った学生、市民らによる運動に対して、国軍がこれを武力で封殺したのである。すなわち、国軍による国民に対する発砲である。
私の仕事上の依頼者である40代後半のミャンマー人女性は、当時の一連の戦乱によって、友人を亡くした。「ほんとにね、たくさん悲しいことがあった」と話す彼女なら、戦乱を、国益をもたらすのに必要な、国際関係上優位をもたらすために必要な道具とは決して捉えないであろう。
もう一人、知り合いのミャンマー人男性のヤンゴンに暮らす弟の片目は、義眼である。1988年の戦乱時に、負傷したものである。私は彼にヤンゴンで何度も会ったことがあり、食事をご馳走(ちそう)になったこともある。しかし、戦乱に関しては、とうとう尋ねてみる勇気を持たなかった。
戦争の実体験を持たずに、机上のゲームのような感覚で、駒を動かしながら戦争を論ずる政治家や評論家を見ていると、国家間の構造に、人々の生命が飲み込まれていってしまうかのような錯覚を覚える。頭でっかちのインテリよりも、戦乱の記憶も生々しい先述のミャンマー人たちのほうが、国の安全に関して、よほど健全な判断をするように感じられる。
2014年4月25日更新 (次回更新予定: 2014年5月25日)
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