ガーナ人男性の死と500万円の損害賠償
本稿から何度かにわたって、日本人による外国人差別について記し、その中でミャンマー人に対する差別についても論じてみたい。
私が、日本人による外国人差別の比較的新しい例として想起するのは、2010(平成22)年3月に、ガーナ人男性スラージュ氏が日本からの退去強制(いわゆる強制送還)のために成田空港で飛行機に運ばれる際に、入国管理局職員9人ないし10人の必要以上の制圧行為によって死亡した事件である。
制圧行為を行った入国管理局職員は、書類送検されたものの、結局不起訴処分となり、刑事面では法律の手続きには乗らなかった。しかし、同氏の妻から提起された国家賠償請求訴訟において、先般2014年3月19日に東京地方裁判所は、入国管理局職員の行為は違法であったとして、国に対し約500万円の損害賠償を命じている。賠償額として認容された金額が僅少(きんしょう)であったこともあり、この判決をもって一件落着というわけにはいかない。
アメリカ人やイギリス人やフランス人であったならば
この事件が論じられるにあたっては、入国管理局の横暴さが俎上(そじょう)にのることが多い。もちろん、それはそれで糾弾されてしかるべきである。退去強制中の付き添いの際には、どのようなルールを遵守(じゅんしゅ)しなければならないのか、なぜ過度な制圧行為が加えられたのか、といった事柄が、事実に基づいて明らかにされなければ、再発を防げないであろう。
しかし、考えてみたいのは、過度な制圧行為を加えてしまった彼ら入国管理局職員の深層心理である。
もし退去強制される外国人が、アメリカ人であったならば、彼らはやはり同様の暴行をしただろうか。イギリス人やフランス人であったならば、死を招くほどの制圧行為を、彼らはしただろうか。否(いな)、きっと彼らはそこまでの行為はしなかったのだろうと思う。
なぜならば、国連の常任理事国メンバーであり、日本と友好な関係を有している同国の人を死亡させるようなことがあれば、重大な外交問題が生じる。「洗練」されたファッション、美術、音楽といった日本人の憧(あこが)れの分野を擁する同国の人に対しては、丁重に接しなければならない。文化についても言語についても聞いたことのない小国は、アメリカやイギリスやフランスよりもなじみがないし、重要でない……等々。
明示の意識があったとはいわない。しかし、ガーナ人を死に至らしめた入国管理局職員の深層心理には、このような意識が横たわっていたのではないか。
特定の外国の人々に対する差別意識
私は、このスラージュ氏事件は、特定の外国の人々に対する、日本人の差別意識の現れだと考えている。そして、法的な問題とは別に、日本人の差別意識という、文化的、社会的問題として、深く検討する必要があると考える。
では、日本に住むミャンマー人たちは、日本人からどのような差別を受けているのだろうか。また、日本人の外国人に対する差別意識について、どのように感じているのだろうか。
2014年5月26日更新 (次回更新予定: 2014年6月25日)
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