会社の「これ本当に必要?」

第8回チームワーク

本連載は、画一的な効率性を重視した「旧来型の組織」では殺されてしまう創造性を発揮するための「新しい組織」について考えます。ここでの「新しい組織」とは、旧来型の組織と完全に置き換えるのではなく、創造性が必要とされる業務を切り離して旧来型の組織とは別の考え方で運営する組織を指します。

   

「チームワーク」という言葉が会社等の組織で用いられるときは、そのほとんどが肯定的な意味だと言ってよいでしょう。もちろん集団で行動する場合にこれが最も重要なものの一つであることは間違いありませんが、どんなものでもその長所がそのまま短所にもなり得ることを考えれば、この言葉も「いいとこ取り」をされて、その課題が見えなくなってしまっている可能性があります。

そういうわけで今回のテーマはこの「チームワーク」の功罪、特にその「罪」について考えてみたいと思います。

排他性とセクショナリズム

一つ目のポイント、それは上述の「長所は必ず短所にもなる」という点です。

チームワークの最大のメリットであり効果は、チーム内で一丸となって一つの目標に邁進(まいしん)して結果を出すということです。そのための「団結力」が成功要因になるわけですが、この「団結力」というのが曲者(くせもの)です。

団結力というのは、要するにそのチーム内だけの結束を強めようということですから、自然とそれは排他性につながっていきます。特に他のチームと「勝ち負けを競う」という領域ではそれが顕著に現れてきます。

他の場合でも、たとえチーム内のメンバーはそう思っていないとしても、団結力の強いチームは他から見ると「近寄りがたい」という雰囲気を醸(かも)し出す可能性があります。

会社の中でも、特定の機能や製品に対しての責任を明確にし、目標達成志向を高める目的で事業部等の組織ができることがありますが、ここでも上と同じ構図が働きます。はじめはよかれと思って作った組織やチームという仕組みが、時間が経つにつれてセクショナリズムという形での「復讐(ふくしゅう)」を始めます。

烏合の衆と八方美人

もう一つのチームワークの負の側面は、チームの色が濃くなる反面で個人の色が薄まってしまうことです。

チームが能力を発揮するためには、その構成要員としての個人がそれなりの能力を有していることが前提になります。しかし実際は、チームには個を前面に出すことが控えられる側面があり、その分、個人の尖(とが)った特徴が二の次になってしまう可能性があります。

責任範囲についても同様です。チームとしての責任感が強くなる分、個人の責任が不明確になりかねないというリスクを負っています。したがって、「個の能力」が特に求められるような仕事の局面ではむしろチームが「烏合(うごう)の衆(しゅう)」と成ってしまう可能性があります。

個の能力が求められる局面というのは、例えばいわゆる「仕事の上流」の部分です。商品や事業の設計でいえば、全体の基本コンセプトを考える段階です。チームワークがより重要になってくるのは、むしろ下流の「実行」に近い方です。抽象度の高いコンセプトというのは、多数の人間が集まって考えるものではなく、ごく少数、さらに言えば「一人で」考えるのが最も特徴的なものができあがります。

これは建築物の構想から基本設計、詳細設計、施工といった流れを思い浮かべれば明快だと思います。基本構想を考える建築家は大抵「一人」で、下流に行けばいくほど多数の人が関与し、「チームワーク」が重要な局面が増えていきます。

コンセプトの概念設計が典型的な例ですが、要は「じっくり考える」という行為は基本的に個人の頭の中で行われるものです。そのための情報収集やブレーンストーミングの段階では、多様性のある複数の関係者がアイデアを出すことは重要ですが、それを「まとめ上げる」という抽象化の段階では、個人の力がものをいいます。

この段階での構想作りに関しては、複数の人が関与すればするほど、様々な意見が反映されて角が丸くなり、また全体に統一性が取れなくなった「八方美人」の凡庸(ぼんよう)なものが出来上がるだけです。

   

このように、組織の中では万能薬のように思われがちな「チームワーク」というのも使いどころとリスクを十分に理解した上で活用していくことが重要と言えるでしょう。

2014年5月2日更新 (次回更新予定: 2014年6月1日)

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