本連載は、画一的な効率性を重視した「旧来型の組織」では殺されてしまう創造性を発揮するための「新しい組織」について考えます。ここでの「新しい組織」とは、旧来型の組織と完全に置き換えるのではなく、創造性が必要とされる業務を切り離して旧来型の組織とは別の考え方で運営する組織を指します。
今回取り上げるのは、「情報共有会議」です。会社は成長して規模も大きくなるにつれて従業員の数も部門の数も増えていきます。そこで必須になってくるのが情報共有です。様々な従業員や部門が収集した情報をそれだけで終わらせず、会社全体としていかに有効活用するか。「ヒト・モノ・カネ」と並ぶ重要な会社のリソースとしての情報をどれだけ「骨までしゃぶれる」か……というわけです。
規模が大きくなった組織にとって重要なものの一つに情報共有が挙げられるのは言うまでもありませんが、旧来当然のように社内で様々な機会で行われていた「情報共有会議」もその必要性を疑ってかかる時期に来ているといえます。情報共有の構造的問題や環境変化等、三つの観点から考えてみましょう。
共有にもコストがかかる
一つ目は、本連載の「仮説なきほうれんそう」の場合と同様、「情報共有」は自己目的化していくということです。つまり本来は「客先に新しい提案をするため」とか「新商品開発のための顧客ニーズを抽出するため」という目的のために実施する情報共有のはずが、情報共有そのものが目的になってしまうということです。
会社の中で起こっている活動は膨大で、そこで収集されたり生成されたりする情報も膨大なはずですから、これが各社員の「頭の中」だけで終わってしまうのは非常にもったいない話なので、これらをすべて吐き出して関係者で共有したいというのは健全な発想です。しかし、ここで忘れられがちなのはその作業にも時間というコストがかかるということです。
ですから、「共有すべきかどうか」は、そこにかけるコスト以上の成果が見込めるものであるかという観点で決める必要がありますが、手段の目的化が起きると、「とにかく共有すべし」となり、無駄な作業が膨大に発生します。
「忙しい人」から「ヒマな人」へ
二つ目は、情報共有が持つ本質的な構造に関わる問題があります。情報を共有するということは、「持っている人から持っていない人へ情報を移転する」ことです。つまり、メリットを享受するのは一方的に「持っていない人」の方です。社外との取引であれば、こうした情報を有償にすることができますから、与えた方も金銭的なメリットを享受できますが、社内ではそういうわけにもいきません。
しかも大抵の場合、良質な情報を持っているのはパフォーマンスの高い優秀な、つまり「忙しい人」であり、それを聞きたいのは「ヒマな人」という構図になります。ここでいう「ヒマな人」は、目的意識もなく情報を受け取ることが多いので、情報を得ることだけで満足してしまい、次のアクションに移ることもありません(だからヒマなのであり、次の情報共有会議を主催する……という「忙しい人」にとっては悪夢の循環に入ります)。
情報共有にはこのような構図があるため、本来は良質なアウトプットを生み出すはずの情報共有が組織の活力を奪っていくという皮肉な結果に陥ります。
社内で会議を開く理由はあるのか
三つ目は、情報共有の手段の多様化です。ICTを使えば必ずしも会議を開かなくてもよいし、ツールの種類も多様化しているので、従来のようにサーバーのような格納庫に成果物を共有しておくという「ストック型」の手段もあれば、社内SNSのような形でリアルタイムに近い形で質問に答えていくような「フロー型」の手段もあります。また情報源についてもインターネットという巨大なアーカイブに簡単にアクセスできるようになったので、例えば「海外視察の報告」といった情報共有の場合は、類似の情報をネットで検索できる場合もあります。つまり、あえて「社内で」「会議を開いて」「受動的な」情報共有会議を開く理由は、ますます少なくなってきているということです。
「仮説なきほうれんそう」と同様に、目的意識や想定アクションのない情報共有会議は、確実に組織の活力を削ぎ、優秀な社員のモチベーションを下げていきます。上記三つの観点から、その必要性を見直すとともに代替手段も考慮していく必要があるでしょう。一度なくしてしまうというのも一つですが、その後、仮説を前提に「目的」を毎回変えて実施してみるのもよいでしょう。
2014年4月2日更新 (次回更新予定: 2014年5月1日)
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