「自己矛盾」の構造

第3回 自分の頭で考えろ

「能動的」な人材の「育成」という矛盾

今回取り上げるテーマは「能動性」です。

AIの飛躍的な発展や業界構造の抜本的な変化によって、ビジネス環境は大きな変化に直面しています。その結果、近年、どの業界のどの会社でも、次のような意見が聞かれます。

「与えられた課題を正確にこなすのは得意だが、〈自分の頭で能動的に考えて〉問題を見つけることが不得意な人が多い」

そのようなことを背景に、「(受動的なAIにできないようなことができる)能動的な人材の採用や育成」は、どこの会社でも重要な課題になっていますが、この課題は自己矛盾をはらんでいます。おわかりでしょうか。

「採用」はともかく、「能動的な人材の育成」は自己矛盾です。「能動的」は「自らの〈内発的な力〉で動く」ことを意味しますから、それを「育成」という〈外発的な力〉で実現しようとするのは矛盾です。

この矛盾は、「教育」に関しての根本的な発想が起因しているように見えます。

足りない能力があったら、それを「育てる」という他動詞型で考えるのか、それとも「育つ」という自動詞の方向に持っていこうとするのか。教育を考えるときに、こうした異なる二つの発想があります。そして、その二つの発想の違いは、知的能力の大きな二大側面とも言える「知識」と「思考」についてどう考えるかによって生じてくるものと思われます。

 

「思考」は「教育」できるか

知識を教育するには、多分に外から「教える」というスタンスが重要で、(やる気があろうがなかろうが)強制的に同じ時間と場所に生徒を拘束して「詰め込む」ことで、一定の成果が得られます。これに対して「思考」は純粋に内発的な行為なので、これを「知識」と同じアプローチで教育することは非常に困難です。

ところが知識型の教育の価値観にどっぷりと浸かってしまうと、すべては「教育によって外から与えるべきである」という前提で、「足りないスキルを補完する」という発想になりがちです。それが「能動性」さえも「育てよう」という発想につながっていきます。

もちろん外部環境や指導者によって「能動的に変化した」人は多数いるでしょうが、それを「外部からの指導によってそう変えられた」と見るのか、「そもそも本人が持っていた資質がたまたまその環境で引き出された」と見るのか、その解釈の違いは大きいと言えます。そのようなスタンスの違いは、さまざまな形で、ものの言い方や教育の手段の違いとなって現れるはずです。

 

教育に内在する自己矛盾が教えてくれること

このような視点で考えると、よく聞かれる「自分の頭で考えろ!」という言い方も自己矛盾を内在していることがわかるでしょう。「他人から言われた通りにするだけでなく、自分の意見を持て」という、言わんとする意図はよくわかります。しかし、よく考えてみると、「〈自分の頭で考えるように〉と他人から言われてそうなった」状態は、本当に「自分の頭で考えている」ことになるのでしょうか?

「すべて言われた通りにしている」状態に比べれば、はるかに「自分の頭で考えている」状態に近づいていることは間違いないのですが、実は本当に「自分の頭で考える」ために必要なステップは、「与えられたものを鵜呑みにせずにすべてを疑ってかかる」ことであり、それ以前に、その思考回路を自ら起動することにあります。したがって、そのきっかけを与えられたことで自分の意見を持ち始めたというのでは、最も重要な最初のプロセスを「他人からの外発的な契機によって」起こしてしまったことになります。

外部から与えられるのは、あくまできっかけだけであり、気付きはすべて内側から生まれるものであるというスタンスこそ、能動性を考える上で最も重要ではないでしょうか。教育に内在する「自己矛盾」は、そのことの大切さを改めて教えてくれます。

2018年9月5日更新 (次回更新予定: 2018年9月15日)

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