「自己矛盾」の構造

第2回 抽象的でわからない

抽象思考を使って抽象を批判

今回取り上げるテーマは「抽象的」という言葉です。

よく次のような言い方を耳にします。
「あの人の言っていることは、抽象的でよくわかりません
具体的に言ってくれと、何度言ったらわかるんですか?」
これらの会話を「自己矛盾」という概念で捉えて考えてみましょう。

そもそも私たちが「言葉を操っている」こと自体が、抽象的思考の象徴です。たとえば何気なく日常で使っている以下のような言葉を考えてみましょう。

来週水曜日に、お昼食べましょう」

何気なく使っている「来週」という言葉ですが、これは、次のことを「一般化」して言っています。

「今日(いま自分が存在している日)の後に最初に来る、月曜(日曜)から日曜(土曜)までの7日間」

したがってこれは、「1900年の3月第1週」かも知れないし、「2016年の12月第4週」かも知れません。要は、ほぼ無限に存在する週のうち、上記の7日間を総称して「来週」と呼んでいるわけです。

同様に、「水曜日」も無限に存在する「1週間の3(4)番目の日」の総称であり、「お昼」に至っては、「太陽が最も高い場所にある時間(お昼)の前後に食べる食事」のことを象徴的に表現しているわけです。

また「食べる」も、「栄養摂取のための経口摂取」の総称であり、「鈴木一郎さんが口にするチャーハン」も「佐藤美希さんが口にするショートケーキ」も、それこそ無限に存在するものを一般化して表現されたものなのです。

このように、「言葉を使うこと自体が高度な抽象化能力の産物」であることをすっかり忘れて、他でもないその言葉を使って抽象化を(抽象的に)批判することは、典型的な自己矛盾です。にもかかわらず、そのことにまったく気づいていない人が大部分なのです(これもまた見事に、前回述べた「自己矛盾の法則(構造)」に合致します)。

 

抽象度の高い「具体的」という言葉

冒頭に挙げたもう一つの「具体的に言ってくれと、何度言ったらわかるんですか?」という言い方、これも強烈な自己矛盾です。「具体的」という言葉自体が相当抽象的だからです。その証拠に、抽象概念を扱うことができない子供が「具体的」という言葉を使うことはありません。

そもそも「具体的」という「抽象度の高い言葉」を相手に投げかけ、相手がその要求(具体的に言うこと)を「具体的にイメージできない」にもかかわらず、「具体的に言ってくれと、何度言ったらわかるんですか?」などと、繰り返し要求するのは、もはやお笑いの域に入っているようにも見えます。

「言葉」の他にも、人間だけが操ることのできるツールとして「数」や「お金」があります。これらも高度な抽象化能力の産物です。数やお金がどれだけ私たちの生活を高度なものにしているか、これらがない生活を想像してみればわかるでしょう。いやそもそも想像すら困難であり、それらがなければほぼ「動物並み」の生活になってしまうことからも、これらがいかに私たちにとって不可欠なものであるかは自明であると思います。

 

「人間である」ことへの批判

人間を動物と分けている決定的な能力がこの「抽象化能力」です。人間は個々の経験を抽象化・一般化し、継承可能な知識として蓄積することで知的能力を高めてきました。「一般的であるが役に立たない」ことの象徴として時に「教科書的」という言葉が使われますが、まさに教科書を作って再現可能な言語として結晶化することで、学習が可能になったのです。

「抽象的である」ことの批判は、「人間である」ことを批判しているのと同じで、動物から見れば、首を傾げたくなるほどの自己矛盾です。人間が「抽象的だ」とか「具体的だ」なんて言っているのは、動物の視点からすれば「五十歩百歩」どころか(これは2倍違うこと意味しますから)、「五十歩五十一歩」の差ですらないでしょう。

自己矛盾が起きるメカニズムとして、客観的な自己認識であるメタ認知ができずに「私(たち)は特殊である」という思い込みに陥った結果、「他者にとってはわずかな差が、当事者(私)には大きく見える」ということが挙げられます。「抽象的」に対する批判もまさに、メタ認知の欠如がその一因と言えます。

2018年8月16日更新 (次回更新予定: 2018年8月31日)

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