「自己矛盾」の構造

第1回 行動がすべて

「言っていること」と「やっていること」

「行動がすべてだ!」

日常生活でもネットの世界でも本当によく見聞きする言い方です。しかし、よくよく考えてみると、この言葉自体が「行動を伴っていない言葉」の最たるものであることがわかります。言っている人もその大きな矛盾に気づいていないことがほとんどです。この言葉の意味は、「そんな〈御託を並べている〉暇があったら、その間にも行動せよ」ということだからです。

本連載のテーマはこのような「自己矛盾」です。

この世は実は自己矛盾であふれています。つまり、人間は基本的に「言っていることとやっていることが違っている」のであり、その自己矛盾に「自分で気づくのはきわめて難しい」ということです。したがって、こうした特徴をもつ自己矛盾には、「人のふり見て我がふり直せ」と、古来言われている「学びの源泉」が潜んでいます。

自己矛盾に目を向けることのメリットは、それだけではありません。

私たちの思考の基本にあるのが、「自分自身を客観的に上から見る」というメタの視点です。あたかも幽体離脱したもう一人の自分が自分自身を見るイメージで、世阿弥の言う「離見(りけん)の見(けん)」もこれに相当します。自己矛盾を見つけることは、思考の練習にもなるのです。

 

落とし穴の外にいるという思い込み

手はじめに、冒頭に取り上げた「行動がすべて」という発言について考えてみましょう。

確かに言っていることはもっともです。口で言っているだけでは自分も世の中も変わらないし、言うのは簡単だが実行するのはその何(百)倍も難しいというのは、汗をかいて実行した人の多くが感じることです。口で言っているだけでやった気になっている人に一言申したくなるのは、非常に理解できます。

ただ、よくよく考えてみると、これはまさしく自己矛盾であることに気づきます。この言葉を発することで、見事に自分もその落とし穴にはまってしまうのです。問題は、その当人はあくまでも「私は落とし穴の外側にいる」と思っていて、落とし穴に落ちた人に対して「上から目線で」物申してしまっていることに、まったく気づかないことです。

それほど行動が大事ならば、このような言葉を他者に発している数秒の間にも自分でできる行動をするのが、本当に行動が大事だと思っている人の行動になると思います。「いや、それはわかっているけど、〈言葉で表現しなければ伝わらないから〉」、あるいは「行動(背中を見てもらう)だけでは限界があるから」という反論があるかもしれませんが、さらに考えてみましょう。

これぞまさに、「だから言葉も重要である」ことを表現しているわけです。周りから見ていれば「口だけ」の代表のような人だって、同じ言い分があるはずです。ここでもまた「いや、あの人と私は違う」「なぜなら私は、〈他人に見えないところで〉行動をしている。それは私にしか見えないから」といった反論が出るでしょうか。しかし、では自分は他者の「目に見えない行動」を把握した上で発言しているのかと言えば、そんなことはあり得ないということがわかるでしょう。

 

自己矛盾に陥る構造

「行動がすべてだ」という例一つをとっても、以下に示すような、自己矛盾の一般的構造が典型的に現れています。

●自己矛盾には自分では気づきにくい
●たとえそれを他人から指摘されたとしても、以下のような理由で否定したくなる
●自分だけは特殊だと思い込みがちである
●自分の事情は見えているが、他人の事情は見えにくい(ことに気づいていないために、他人のことをあれこれ言いたくなる)

次回以降は、このような「気づきにくいが頻発する自己矛盾」を取り上げて、「我が振り直す」ためのきっかけとしていきたいと思います。

2018年8月7日更新 (次回更新予定: 2018年8月21日)

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