ケチとは何か
一緒に食事に行った部下にもおごらないとか、割り勘は常にきっちり1円単位まで計算する人など、世の中には「ケチ」と呼ばれる人たちがいます。またそのような人たちのことを話題にして「あの人ケチだよね」と噂をする人たちもたくさんいます。
このような発言の構造を「自己矛盾」という観点で考えて見ましょう。
そもそも「ケチ」とは何でしょうか?
①お金に対して細かい
②そうであるがゆえに、自分の出費は最小にして他人の出費を最大にしようとする
大抵の「ケチ」は、これら2点で説明できるでしょう。
それを前提に、「あの人はケチだよね」という発言を検証してみましょう。
他人の金銭感覚に敏感
まずは他人に対して「ケチである」とか「ケチでない」とかコメントしている時点で、「他人の金銭感覚に敏感である」ことがわかります。そもそも(ケチの対極と言える)「太っ腹の人」は、金銭感覚をはじめとして、他人の言動に対していちいちとやかく言わないことが特徴として挙げられるでしょう。
したがって、他人のことを「ケチである」と言っている時点で「自分もケチである」ことを露呈してしまっています(ということに本人も気づいていないところも、自己矛盾に共通する特徴に合致します)。
自覚なしに物語る
次に、なぜこの発言に至ったのかを考えると、それが先の②の条件につながってきます。おそらくこの発言者は、(飲み会や食事会などの場で)本来「あの人が払うべきである」ことを「自分が払わされた」ことに対してそのように発言しているのでしょう。これぞまさに、②の条件そのものが当てはまってしまっていることになります。
つまり、「あの人ケチだよね」(という非難)は、実は「私もケチです」ということを自覚なしに物語ってしまっていることを意味しているのです。
「まったくあの人って、随分前に自分が余計に払ったことだけをいつまでも覚えていて、やたらにそのことを強調するんだよね」……というように、一つの事象をいつまで経っても覚えているなど、まさに「自分もそうである」ことの裏返しであり、「自己矛盾」です。
他人の言動が気になるとき
この現象、さらに「自分の気にしていることは、他人に投影されてよく見える」というふうに一般化してみましょう。そうすると、さまざまな形で似たような現象が起こっているということがわかります。
ケチ(金に細かい人)に限らず、「〇〇が細かい」(〇〇には時間や誤字脱字など、いろいろな言葉を入れることができるでしょう)人のことが気になって仕方がない場合、それは自分が気にしていることの反映でしょう。確かに、自分がまったく気にしていないことを他人が気にしていると、それはそれで気になりますが、それも先の「太っ腹の人は他人をケチ呼ばわりしない」ことから考えると、気になることはあっても「あの人〇〇で困る」というような非難の発言にはなりにくいのではないかと思います。
本当にそのことを気にしていないのであれば、他人の言動にそのことが現れてもまったく気にならないので、そのことに言及するには至らないはずです。他人の言動が気になるとき、実はそれは自分のことではなかったかと考えてみれば、何らかの気づきにつながるのではないでしょうか。
*本コラムは、書籍化に先立って内容の一部を公開するものです。刊行は2018年11月下旬~12月初旬を予定しています。
2018年9月30日更新 (次回更新予定: 2018年10月8日)
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