『雑草に学ぶ「ルデラル」な生き方』プロローグ公開

プロローグ――荒れ地を生き延びる「ルデラル」

 

弱い植物も生き残る不思議

 自然界は私たちが生きる競争社会以上に厳しい環境にある。強い者が生き残り、弱い者が滅びる。

「一生懸命に頑張ったのだから、それでよいではないか」

 などという甘い考えは一切、通用しない。

 頑張っているだけなら、すべての生きものが頑張っている。

 生き馬の目を抜くような競争が日々繰り広げられている自然界において、歯を食いしばって頑張っているだけでは、とうてい生き残ることなどできない。それが弱肉強食の自然界といわれる所以(ゆえん)である。

 しかし、そんな認識で自然界を見回してみると、どうも様子が違う。

 競争に強いものたちだけが生き残っているかといえば、そうではないのだ。

 たとえば、ライオンとシマウマは、ライオンの方がが圧倒的に強い。しかし、シマウマが滅んで、ライオンばかりになってしまうかというと、そんなことはない。

「みみずだって、おけらだって、あめんぼだって、生きているんだ」と歌の文句でさげすまれているが、ミミズもケラもアメンボも滅びずにたくさんはびこっているということは、どれも厳しい自然界を生き抜いてきた勝者ということなのだ。

 といいながら、どうやら、強ければよいというものでもないようだ。

 自然界の面白いところは、そこにある。

 

雑草はけっして強くない

 私が雑草という植物に出合ったのは、大学院生のときである。

 私の学んでいた大学では、なんと「雑草学」という学問があった。「雑草学」というと、「UFO学」や「ドラえもん学」と同じように、ずいぶんとユニークな学問のように思われるかもしれないが、そんなことはない。

 農業を行う上で、田んぼや畑の雑草を防除することは、とても大切なことである。そのため雑草の生態を知り、防除に活かそうという学問が、雑草学なのである。

 もっとも、かくいう私も、田んぼや畑の雑草を何とか防除したいという強い使命感で雑草学の研究室の門を叩(たた)いたわけではない。

 雑草というと、「雑草のようにたくましく」といわれるように、人間の生き方にもたとえられる。「雑草学」という言葉の響きに、何となくあこがれがあった。ただ、それだけのことだったのである。

 ところが、いざ雑草の研究を始めてみると、雑草というものは知れば知るほど、興味深い植物であることに驚かされた。そもそも、「雑草のようにたくましく」というけれど、雑草は、私たちのように歯をくいしばって頑張っているわけでもなければ、涙をこらえながら、じっと耐え忍んでいるわけでもない。

 雑草は知恵と工夫で環境に適応し、逆境を克服している。むしろ逆境を巧みに利用していることさえ多い。雑草の生き方は、じつにしたたかで合理的なのである。

 そして、何より驚かされたのが、雑草はけっして強い植物ではないということを知ったときであった。植物学の世界では、雑草は強い植物だとは考えられていない。むしろ、「弱い植物である」とされていたのである。

 弱いとされている雑草が、どうしてこんなにもはびこって成功を収めているのか。それが本書の大きなテーマである。

 

植物には三つの生き方がある

 英国の生態学者であるジョン・フィリップ・グライムは、一九七〇年代に植物の成功戦略を三種類に分類した。それが、CSR戦略と呼ばれるものである。CSRと言っても、「企業の社会的責任(corporate social responsibility)」の略ではない。つまり、植物が成功して生き抜くためには、C型、S型、R型という三つの生き方があるということなのである。

 C型は、「コンペティティブ(競争型)」で、競争に強いタイプである。

 自然界は弱肉強食の世界である。強い者が生き残り、弱い者は滅びゆく。

 それは、植物の世界であっても同じであり、植物たちもまた、常に激しい生存競争を繰り広げているのである。そんな激しい競争を勝ち抜くことで成功する植物が「競争型」である。

 強いものが生き残るのだから、競争型が成功するのはよくわかる。しかし、それ以外に、どのような成功タイプがあるのだろうか。

 CSR戦略のS型は、「ストレストレラント(ストレス耐性型)」である。競争型の生えることのできないような過酷な環境に適応するのがS型である。

 たとえば、サボテンなどがストレス耐性型の典型である。水がなく乾燥した砂漠の条件は植物には過酷なものである。とても競争している場合ではない。生きていくのが精いっぱいなのだ。

 激しい競争に身を置くか、過酷な環境に身を置くか、あなたはどちらのタイプを選ぶだろう。

 いずれも厳しい条件である。どちらも超人的な能力を求められる。

 もっと他に、もう少し頑張れそうな戦略はないのだろうか。

 競争型(C型)でもなく、ストレス耐性型(S型)でもない、第三の成功戦略こそがR型と呼ばれるものなのである。R型とは、どのような戦略なのだろうか。

 

そもそも「強さ」とは?

 R型は弱者と呼ばれる植物たちが、成功を収める生き方である。そのR型こそが本書で紹介する「ルデラル」である。

「ルデラル」とは、荒れ地を生きる植物を指す。

 荒れ地を生きるというと、アメリカ西部の荒野か何かを連想して、私たちにはなじみのない植物の話だと思うかもしれない。

 しかし、そうではない。

 私たちの身近にいる雑草と呼ばれる植物群は、まさにルデラルな生き方をする植物の典型である。

「でも、雑草が弱いというのはイメージと違う」と思うかもしれない。

 確かに、雑草には、抜いても抜いても生えてくるというイメージがある。そんな雑草の強さにあこがれ、「けっしてあきらめない雑草魂で頑張る」と心境を語る人も多い。

 ところが先述のように雑草は、植物学の分野で、強い植物ではなくむしろ弱い植物であるとされている。

 それでは、どうして弱い植物である雑草に、人々は強さを感じるのか。これが「ルデラル」の重要なポイントである。

 そもそも「強さ」とは、どういうことなのだろう。

 力が強くて、けんかに強いばかりが強さではない。確かに力の強さは生き残る上で有利な条件となるだろう。しかし、生き残るために必ずしも力の強さが必要なわけではない。

 勝負の世界では、結局のところ「勝利した方が強い」ということになる。そして、自然界では「生き残った方が強い」ということなのだ。力は弱くても知恵を駆使して生き残ることも強さのうちだろうし、環境に対して適応していくことも強さとなるだろう。

 

逆境を生き抜く弱者の戦略

 ルデラルは、大きく二つの特徴を持つ。

 一つ目は、ルデラルは「弱者の戦略」ということである。そして、その真髄は「競争しない戦略」である。

 競争社会に生きる我々は、ときに不利な条件で競争に巻き込まれることがある。負けるとわかっている競争を強いられることもある。そんなとき、わざわざ負け試合に挑む必要はない。

 しかし、不利な戦いだとわかっていても、どうしても戦わなくてはならないときもあろう。そんなとき、強者と同じ戦い方をしていたのでは、弱者には勝ち目がない。弱者には弱者の戦略がある。

 スポーツの試合では、力のないチームが、強豪チームに勝つにはどうしたらよいのか。中小企業や小さな小売店が、大企業や大型店に対抗するにはどうしたらよいのか。

 そのヒントはまさに、「ルデラルの戦略」にある。

 ルデラルの特徴の二つ目は、「逆境の生き方」にある。そして、その真髄は「逆境を味方につける」である。ルデラルにとって逆境とは耐えるべきものでもなければ、敵でもない。むしろ歓迎すべきものなのである。

雑草に代表されるルデラルは「弱い植物」であるが、もし、ルデラルに強さを見出すとすれば、それは「マイナスをプラスに変える強さ」だろう。

 

 なお、本書は三つのブロックで構成した。Ⅰではルデラルな生き方の特徴・法則を、Ⅱではルデラルな生き方の戦略を解説した。そして最後のⅢでは、ルデラルということをキーワードに、我々日本人が持つ強さについて考察してみた。

 

 今、世の中は激しく動いている。

 予測できない変化、経験したことのない変化が目の前で次々に起こり、誰も将来像を描けない、そんな時代である。しかし、予測不能な逆境こそ、ルデラルがもっとも得意とする環境である。

 激動の時代を生き抜くとき、「ルデラルな生き方」を選択肢として持つことは、逆境をチャンスに変える有効な戦略オプションとなるだろう。

 本書で紹介する「ルデラルな生き方」が皆さんのビジネスや人生において何らかの力になれば、著者として望外の喜びである。