落語的了見

第6回 煙草

煙草はやめたし下戸だけど

 煙草(たばこ)が嫌われものになって久しい。しかし、そもそも煙草は聖なる薬草と呼ばれ、万能薬として世界中の人々に愛された時期もあったくらいだ。ペストが蔓延(まんえん)したときなどは、子どもまで煙草を吸ったらしい。もちろん、大昔の話である。ついこの間まで、煙草はどこでも吸えた。電車でもプカプカ吸っていた。でも、副流煙(ふくりゅうえん)で、吸っている当人より周囲の人に害があるとわかってから、一気に煙草は悪者になった。

 なぜ人間は煙草を吸うのかというと、世の中で一番美味(うま)いものだからである。私は若いころは煙草に興味がなく吸わなかったが、中年になって初めて吸ったときのあの衝撃。こんな美味いものだったのかと驚いた。人類三大美味は水、酒、煙草だと私は考える。私は下戸(げこ)だから酒の美味さはわからないが、この説はあながち間違っていないと思う。

真剣に吸わないと美味くない

 ただこの三大美味は、水以外は身体に悪い。私は、患(わずら)った際に医者に止められて、煙草を吸うのをやめてしまった。まあ、たまに隠れて吸う時もあるがね。でも本気で吸っていないからそれはカウントされない。そう、煙草は真剣に吸わないと美味くないのである。

 禁煙しようかどうしようかと迷っている人は、惰性で煙草を吸っているのだ。真剣に吸っていたらやめようなんて思うはずがない。私のように「命にかかわるから」といわれて初めて煙草はやめられるものなのだ。もちろん、それでもやめられず、吸い続けて死んだ人もたくさんいる。

 私は煙草の魅力を知っているから喫煙者を邪険にはしない。食事の席だろうが、どうぞ吸ってください、と言う。煙草のにおいで飯が不味(まず)くなるという人がいるが、喫煙室で飯を喰うわけでもあるまいに大げさな。副流煙は確かに身体に悪いが、食事の間ずっと吸い続けているわけじゃない。ただし、惰性で吸っている人ならば食事の時は遠慮していただきたい。私は本気で吸っている人を対象に話をしているのだ。

最後の一服

 今はどこもかしこも禁煙。路上禁煙地区だらけ。チャラチャラした若者が惰性で吸っていたら罰するべきだが、品のある大人が散歩の途中で美味そうに吸っていたらそれは許してあげたい。レストランでも、禁煙ではなく「大人の吸い方をしてください」と断った方が洒落(しゃれ)ている。

 私は、人生の最期のそのときには煙草を吸おうと思っている。カッコいいと思いませんか。真剣に煙草を吸う姿はカッコいいのだ。最期に煙草を吸おうとしたら、医者に「病院では禁煙です」と煙草を取り上げられた、なんてね。

 死刑囚(しけいしゅう)が最期の一服を看守にすすめられて、思わず「禁煙中ですから」と断った、なんていうジョークを思いついた。

2012年10月25日更新

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