落語的了見

第8回 年齢

急激に白髪頭になった

 「年齢が同じでも、若く見える人は老けて見える人より長く生きる」という、ある研究所の記事を読んだ。信憑性(しんぴょうせい)の有無は置いておいて、なるほどなと思った。実年齢が若いほど残り寿命が長いと思いがちだが、果たしてそうなのか。単純に考えたって、身体が丈夫な人と弱い人とでは生きる年数は違ってくる。その人がどういう人生を送ってきたかによって寿命は決まるのだろう。

 年齢の割に若く見える理由を、よく「何も考えていないから」とか「馬鹿だから」とか言う人がいるが、ストレスが少ないからではないかと私は思う。私なんぞは急激に白髪頭になったが、そのときは明らかにストレスがたまっていた。体調もボロボロであった。

 老けて見える人は、それだけ肉体も精神も老いているのだと思う。大病を患(わずら)うと一気に老けるが、本当に老いてしまっているに違いない。何が言いたいかというと、つまり「長生きしたければ若さを保て」ということである。

「早く枯れよう」という努力

 芸人、芸術家は、己(おのれ)の作品に燃えているときは、基本的にはみんな若い。老けた時点で燃え尽きたと考えてよいのではないか。

 高倉健(たかくらけん)や石原慎太郎(いしはらしんたろう)が八十代に見えるか? アル・パチーノが七十代なんて信じられない。私の師匠談志は、一番脂が乗っていたのは六十代。世間の基準からするとリタイアしている年齢だが、到底そうは見えなかった。五十代の働き盛りに見えた。ただ病気をして声が出づらくなり気力が落ちたとたん一気に老けた。

 例外は先代金原亭馬生(きんげんていばしょう)師匠。私が敬愛するこの師匠は、四十代のころから老けていた。馬生師匠は、落語家の味は年齢の積み重ねにより出るものだと信じて、それは事実なのだが、早く枯れようと努力したのだ。あまり食べず、酒中心の食生活をして、着物を着て、白髪も染めず、爺(じい)さんに見えるように努力した。

 その結果、なんとも表現しがたいまるで水墨画のような空気感で落語を語るようになり、評価された。だが五十代の前半で亡くなってしまった。晩年の高座姿は七十代後半の老人に見えた。年齢は五十代でも肉体と精神は七十代だったのである。

ヒステリックグラマーを着る理由

 私は、一時老けたが、再婚をしたことにより若返った。妻が18歳も年下なので、交際当初は街中を二人で歩いていると妻の友人から援助交際だと勘違いされた。旅に行くと親子だと間違えられた。どうも不愉快なので、私は妻と同年代に見えるようになろうと考えた。そうなれば、妻と同年代でありながら、知識や人生経験は18年分多い。怖いものなしである。

 服装も、本来はブランド品なんかには興味がないのだが、私の年代ではまず着ないヒステリックグラマーに替えた。髪も染めた。妻と真っ向から喧嘩(けんか)もした。そして50歳を間近にして娘が生まれた。娘のためにも、「爺さんのパパ」では可哀想(かわいそう)なのでもっと若くなろうと考えている。

 それは落語家としてどうなのかという意見もあるだろうが、老成化して死んでしまったらしょうがない。枯れた芸は将来の楽しみにとっておけばよろしい。近頃、その成果が現れ、私が50歳になるよと言うと驚かれるようになった。

 還暦には「赤ん坊に戻る」という意味がある。私は還暦を目指してどんどんガキになるつもりである。そういえば、ミッキー・カーチスさんが年々若くなっている。ミッキーさんが五十代後半のときに知り合ったが、そのころは実年齢より上に見えた。しかし落語に目覚め、真打ちを目指すようになってからぐんぐん若返った。そして還暦以降、若くなり、格好よくなった。ミッキーさんも若いかみさんをもらっている。現在、七十代半ばではあるが、まだ五十代のようだ。まごまごしているとミッキーさんの方が年下になってしまいそうである。

2012年11月25日更新

B!

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