赤ん坊の泣き声と漫画家
先日、ある女性漫画家が、飛行機での赤ん坊のマナーについて言及し、ネット上で袋だたきにあったそうだ。なにがあったかというと、その漫画家が国内線の飛行機に乗った際のこと。ある若い母親が赤ん坊を連れていた。飛行機に慣れないからか、赤ん坊は火がついたように泣き出し、母親やキャピンアテンダントが懸命にあやすも効果がなかった。
がまんできなくなった漫画家は、「飛び降りる」と騒ぎ、その母親に向かって、「赤ちゃんを連れて飛行機に乗ってよいかどうか考えなさい」と小言(こごと)を言い、それでも怒りが収まらず、航空会社にクレームをつけ、いわく「赤ちゃんに眠り薬を飲ませたらどうだ」「防音の部屋をつくるべきだ」云々(うんぬん)。当然ながらそれがすべて航空法により却下されると、法の改正をしろとまで彼女は詰め寄ったとのこと。
これをまるで武勇伝のように雑誌のコラムに書いたから大変、世間から袋だたきにあったのである。彼女は間違いなく賛同者が出ると踏んでいたに違いない。よくぞ言ってくれたと賞賛されると思っていたのだろう。しかしそれは間違っていたのである。
たしかに、飛行機や電車での赤ん坊の泣き声にいらついたことは誰でもあるだろう。私の師匠談志などはしょっちゅう怒鳴りつけていた。ただし、それは親が何もしていなかった場合だ。電車の中で子どもが騒ぎまくっているのに母親は携帯ゲームに夢中、なんというときに談志は怒鳴っていた。ときには「絞め殺せ!」とまで言っていた。
新幹線のグリーン車などでも、平然と赤ん坊を泣かせている親がある。グリーン車は快適な空間を金で購入したのだ。それを無神経な親によって破壊されたのだから怒って当然。赤ん坊が泣いたら親は、すぐにデッキに出て泣きやませるべき。それなのに、「私だってお金を払っているのに何が悪いの?」と開き直る。こういうのはマナーの問題でなく人間性の問題だから、どんどん小言を言うべきである。
冷たい生き物
さて話を飛行機に戻す。飛行機も、客は速さと快適さを金で購入しているわけだ。だから赤ん坊に泣かれたらたまらないと漫画家は主張しているのだろう。わからないではないが、やはり間違っている。その母親がどういう状況で乗っているかわからないからだ。もしも、おじいちゃんが危篤(きとく)でなんとか息のあるうちに孫の顔を見せてやりたい、と思って飛行機に乗っていたらどうする? なんらかの事情でやむを得ず飛行機に乗っていたのかもしれない。
それに母親は懸命に赤ちゃんを泣きやまそうとしていたのだ。はたしてその母親に小言を言うべきだろうか。うるさければイヤホンをつけて音楽でも聴いていればよろしい。なぜ、「大丈夫よ、赤ちゃんが一番つらいんだから、私たちのことは気にしないでいいわよ。まわりの怖そうな顔をしているおじさまたちだってきっとわかってくれるわよ」と声をかけてやれないのだ。それが人間の優しさ、人の心というものではないのか。
いつから日本人はこんな冷たい生き物になったのか。「袖(そで)振り合うも他生(たしょう)の縁」というではないか。母親が赤ん坊をほったらかして週刊誌でも読んでいたら、そこではじめて怒るべきた。
飛び降りる? そうしなさい。
赤ん坊に眠り薬を飲ませる? 自分が飲めばよろしい。赤ん坊はそんな薬は飲めないという常識も知らないのか。
防音の部屋をつくるべきだ? あのね、だから国内線にはプレミアムクラスがあるの。金を払えば赤ちゃんの泣き声がそんなに間近に聞こえないシートがあるの。赤ん坊の泣き声が嫌ならプライベートジェット機を購入しなさい。そんな金はない? なら、あきらめなさい。
バカ、バカ、バカ
終電車には酔っ払いが乗っている。朝のラッシュはすし詰め。それが嫌なら働いて金持ちになってタクシーを使うなり、運転手を雇うなりして快適を求める。それが世の中。
飛行機に乗れば、どんな人と隣り合わせになるかわからないのだよ。太った人が横にきちゃって鼻息は荒いわ、汗はかくわ、肘(ひじ)はあたるわ、というときに小言を言うか? 「デブは飛行機に乗るな」と航空会社にクレームをつけますか?
小言を言うべき対象じゃないのに、くだんの漫画家は言ってしまった。
小言を言うべき対象は、たとえば電車で足を投げ出して座っているバカ。つめないバカ。大人が立っているのに子どもを平然と座らせているバカ親。イヤホンで音楽を聴いていて音がシャカシャカもれているのに自分だけノッているバカ。しゃあしゃあと車内で化粧をしているバカ。その化粧によってバカがものすごくきれいになり、感心しているこっちがバカ。化粧が結局ムダな抵抗だった場合は、何だか気の毒になります。
2012年12月11日更新
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