ムーンアイランドへようこそ

第5話 宇宙に向かって伸びるリボン

舞台

居酒屋「ムーン・アイランド」は、東京の下町、もんじゃ焼で有名な月島(つきしま)にある。すぐ近くに帝都大学がある。店内には歴代の宇宙飛行士の写真や、ノーベル物理学賞受賞者などの写真やサインが並んでいる。どういうコネクションがあるのかわからないが、実際にNASAから宇宙飛行士がやってきたりするサイエンス居酒屋である。

登場人物

糸川真凛(いとかわ・まりん)

帝都大学理工学部3年生。宇宙物理学を学ぶ。ひょんなことから、月島にある居酒屋「ムーン・アイランド」でアルバイトをすることに。美人で背が高く、モデルのような外見だが、超理系の負けず嫌いな性格と、科学に命を懸けているため、恋人はいない。

朝永佐織(ともなが・さおり)

「ムーン・アイランド」の女将。上品で和服の似合う美人。理科好きの男性が好きで、科学居酒屋「ムーン・アイランド」を始める。性格はしとやか。しかし、話が宇宙や深海など科学的な冒険のことになると、人が変わったように熱が入る。

国友一雄(くにとも・かずお)

「ムーン・アイランド」の常連客。大会社の役員待遇の研究者。20年前に「ノーベル物理学賞か」と騒がれたことも。頑固で無口だが、ほかの客が間違った科学の話をすると、「国友です」ともっさり名乗って、間違いを正す。

川端誠司(かわばた・せいじ)

帝都大学法学部政治学科3年生。真凛と付き合いたくて天文部に入る。真凛と同じ歳。

だが、理系の知識はゼロ。金持ちの息子で勉強にも興味はないが、なんとか真凛に振り向いてもらうために、科学知識を得ようと「ムーン・アイランド」に通う。

設計図

  茜色に染まる、夕暮れの月島。

  もんじゃの香り漂う街中を抜けてしばらく行くと、懐かしい出汁の匂いがしてくる。

  開店前のムーン・アイランド。

  割烹着(かっぽうぎ)姿の佐織ママと、エプロンを付けた糸川真凛(いとかわまりん)が、カウンターの内側で気ぜわしく料理の仕込みをしている。

  真凛は佐織ママに少しずつ料理を習い、最近では大根のかつらむきまでまかされるようになった。向こう側が透けて見えるほど薄く繰り出される白い大根のリボンが、真凛の手元からとぎれることなくまな板の上に積み重なっていく。

  包丁を操りながら、真凛はちらと佐織ママを見た。ゆるくまとめた髪、薄いベージュの縦縞の和服に真っ白の割烹着姿。自分の母親以上の年の女性なのに、色っぽさを漂わせた佐織ママ。真凛はふと、自分とはほど遠い存在に感じることがあるのだった。

  「真凛ちゃん、ちょっとこれ、今日の突き出しにしようと思うんだけど、味見てくれる?」

  と言って、佐織ママが昆布の煮つけを真凛に差し出した。

  「佐織ママ、これ、おいしいです! どうやってつくるんですか?」

  「昆布を山椒(さんしょう)で煮付けているのよ。でも、種明かししちゃうとね、出汁をとったあとの昆布を使ってるの。こういうの、『お構いもの』って言って、ふつうはおなじみのお客さんだけに出すのよ。廃物利用ですからね」

  「『廃物利用』ですかぁ。でも、山椒の香りがすごくいいですね。なんか、ホッとするおいしさだわ」

  「あら、うれしい」

  「昆布には、旨味(うまみ)成分のグルタミン酸がたくさん入ってますから、それだけでおいしいのはわかりますけど、そこに山椒の香りが加わると、今度は旨味だけじゃなくて香りとのハーモニーが生まれるんですね。ちがう素材を組み合わせて旨味と香りを調和させるって、これぞ日本料理なのかな」

  「ふふ。真凛ちゃん、すごいじゃない。でもこれ、私がアメリカにいたときに習った料理なのよ」

  「え、佐織ママ、アメリカにいたんですか!?」

  すると、突然、「ドワワワワワー」という音とともに、店の入り口の扉があいた。

  大きな影が立ちはだかり、夕陽がつくる長い影が店の奥まで伸びてきた。

  逆光で顔は見えない。が、でかくてゴツい。180センチ以上はある。何か筒状のものが肩の上に伸びている。

  真凛は思わず身構えた。

  「コチラ、ムーン・アイランドッ、サ~ン?」

  大男は、変なイントネーションで、大声を張り上げた。

  いつも冷静な佐織ママも、硬直している。

  真凛は意を決し、営業スマイルで、応えた。

  「そ、そうです……いらっしゃいませ。こ、こちらへどうぞ。お一人さまですか?」

  「チット、待ち合わせ~しとる人、オルんやけど。ホナ、トリアエズ、ビールで」

  変だ。でもまぁ、外国人が地方で日本語を覚えると、こんなものだ。

  「かしこまりました」と言って、真凛はカウンターの内側に戻った。

  茶色い革ジャンにジーンズ姿。肩にかけている黒い筒状のものは、真凛が大学で時々目にする、建築学科の学生が持っているものと同じ図面ケース。

  よく見ると、野太い大声に似合わず、青い目がかわいい。

  と、再び、ドワワワワワーっと大きな音がして、客が入ってきた。常連の国友一雄(くにともかずお)だ。

  「おお、来とったか。ブライアン、待たせたね」

  国友は満面の笑みを浮かべて、そのブライアンと同じテーブルの椅子に座った。

  「ママ、ビールね」

  猫背の国友と、ゴツい外国人。どう見ても違和感のある組み合わせだが、しかし、妙に親しげである

  ブライアンは、筒から大きな紙を取り出して、国友の目の前に広げる。

  「うーん、なるほど、そうか」

  国友はそれをじっと眺めて、ふむふむ、うむうむ、とうなずいている。

  ビールと突き出しの「昆布と山椒(さんしょう)の煮つけ」を二人のテーブルに置いて、真凛もすぐ横からのぞき込んだ。

  箸(はし)を器用に使って「昆布と山椒の煮つけ」をひと口食べたブライアンは、あれ? というふうに顔をかしげた。

  国友は顔も上げずに言った。

  「真凛ちゃん。これ、何かわかるかい?」

  何かの設計図? 建物ではない。カプセルのような形をした流線型の物体。リニアモーターカーのようで、でも違う。

  「うーん、未来の空飛ぶ車とか? じゃないですよね」

  「くくく。宇宙エレベーターだよ」

  「宇宙エレベーター!」

  地球からはるか宇宙に向け、まっすぐ垂直に何万キロも伸びたエレベーター。SF小説やアニメの世界の話、と思いきや、宇宙旅行に行くには、大量の燃料を使う宇宙ロケットではなくて、この宇宙エレベーターで行くほうが安くて合理的になるのだという説明を聞いたことがある。

  「これ、宇宙エレベーターのどの部分なんですか?」

  「『クライマー』って呼んでいるんだけど、エレベーターで人が乗る箱の部分だ。これが宇宙に向けて伸ばした長いケーブルを伝わって、上に行ったり下に行ったりすることで、人を運ぶんだよ。垂直に伸びた鉄道のイメージかな」

  「へえ~。でも、どんだけ頑丈なケーブルが必要なんだろ。スカイツリーに設置されてるエレベーターどころの騒ぎじゃないですねえ。ってことは東京ドームぐらいの断面の柱の土台をどーんと地面に作って、その上に超巨大な構造物を宇宙に向けて建築するイメージなのかなぁ」

  「いや、巨大な建築物を想像するかもしれないが、そうじゃないんだ」

  「たしか、カーボンナノチューブを使えば、実現可能っていうことでしたよね?」

かつらむきとカーボンナノチューブ

  国友の説明によると、こうだ。

  宇宙エレベーターで構想している10万キロメートルもの長いケーブルを宇宙に向けて張るときに問題になるのは、ケーブルを引っ張る力にどう耐えるかということだ。宇宙エレベーターの発想自体は100年以上前からあったが、この問題のために夢でしかなかった。ところが、1991年に「カーボンナノチューブ」が発明されて以来、ぐっと現実みを帯びてきた。

  カーボンナノチューブとは、炭素だけでできた構造体で、炭素の結晶を管状につないだものだ。特徴の一つは、引っ張り力に対してとても強いということだ。

  理論上、カーボンナノチューブは、現在存在する最強の材料である鋼鉄の100倍くらいの強度をもつ。このカーボンナノチューブを10万メートルのケーブルに使うとしたら、どうだろうか。国友たちは計算した。

  「たとえば重さ30トンのクライマーに、ペイロード(荷物)を最大70トンまで乗せて昇降させるのに必要な長さ10万メートルのケーブルって、どんな太さだと思う?」

  「うーん……」

  「幅は最大部分でも4.8センチメートル。そして厚さはたった1.38ミリメートルで大丈夫なんだよ。」

  「へぇー。あ、ちょ、ちょっと待ってください……」

  真凛はカウンターのほうに急いで駆けていくと、自分でつくった60センチぐらいの長さの大根のかつらむきをつかみ、リボンのようにヒラヒラさせて戻ってきた。

  「こんな感じ?」

  「おおー、そうだよ」

  「スゴイジャナイ!」

  ブライアンが興奮して、かつらむきに手を伸ばして引っぱった瞬間、それはプチッと切れ、床に落ちた。国友は切れ端を拾い上げると、

  「まぁ、カーボンナノチューブのほうも、まだまだ改良が必要で、今のところこれくらいの長さが精一杯だから、これから時間がかかりそうだがね」

  真凛は、リボンのようなものが、宇宙に向かって果てしなく伸びている様子を想像した。クライマーがスルスルと、遥(はる)か上空に向かっていく。そして、今度は自分がクライマーの窓から青い地球を見下ろしている。

  「地球から離れていくと次第に重力が小さくなるわけだが、ちょうど火星の重力と同じになる高度3900メートルのところに『火星重力センター』、そしてさらに上がって月の重力と同じになる高度8900メートルのところに『月重力センター』を設置するというアイデアがあるんだ」

  「鉄道でいえば、駅みたいなものかしら?」

  「ああ、そうだね。火星と月の重力が再現できるから、将来、月と火星に基地をつくるための実験もできるだろう」

  未来の地球からは、いくつも宇宙エレベーターが立っている。地球上空の軌道上には、蜘蛛(くも)の糸のようにそれらをつなぐ通路が縦横に築かれ、新しい居住空間になるのだろうか。

  それは、太陽の光を受けると、雨上がりの蜘蛛の糸のように、キラキラ輝くのだろうか。そして、一生のうちのほとんどを宇宙空間で過ごすような人たちも生まれるのだろうか……。

コンブとサンショウと宇宙飛行士

  「あ、あれ!?」

  真凛は、ふと我にかえって、素っ頓狂な声を上げた。

  目の前のブライアンと、そのうしろの壁に貼ってある写真の男性が、そっくりではないか。

  壁の写真はカラーだが、昔に撮影されたものらしく、変色が著しい。

  店にはたくさんの宇宙飛行士の写真が貼られているが、この写真だけ、宇宙飛行士のブルースーツでもオレンジスーツでもなく、米軍パイロットのフライトスーツを着ている。

  ブライアンも、自分とそっくりの写真に驚いた。そして、はっと気がついたように、

  「こ、この料理、知ってます! コンブとサンショウ、でしょ。日本大好きだった僕のパパ、一番好きな料理だったって、母がよくつくってくれました」

  佐織ママの料理を、この変テコな外人が知っている。視線がカウンターに集中した。佐織ママは、みんなの視線に気づいて、言った。

  「えっ、ええ……。私も最初に見たときにびっくりしたわ。まさかと思って。息子さん……なんでしょう? ブライアンの……でもどうしてここに?」

  びっくりしたままのブライアンにかわって、国友が説明をかってでた。

  「ブライアンはね、アメリカの民間宇宙開発会社で、未来の宇宙船の設計をしているんだよ。我々とは宇宙エレベーターの論文を通じて知り合ったんだ」

  ブライアンは、佐織ママに向かって、

  「わたしのパパのこと、知ってるデスカ? わたし、ブライアンの息子、ブライアン・ジュニアです」

  ブライアンによれば、彼が3才のときに、彼の父はスペースシャトルの事故で死んだのだという。1986年のことだ。

  佐織ママは、うなずくと、憂いを含んで思い出を語った。

  「あなたのお父様とは、古いお友達だったわ。私は当時20才。お父様は31才だった。私は日本からアメリカに行って、大学に通いながらワシントンDCの伯父さんの日本料理屋さんでアルバイトをしていたの。ある日、ベトナム戦争から帰ってきたばかりのお父様が上司に連れられてお店にやってきて……」

  当時習いたてだったこの「昆布と山椒の煮つけ」を、ブライアンたちに出すと、上司のほうはそれほどでもなかったが、ブライアンは「こんなに繊細で旨い料理は食べたことがない」と言って喜んだ。

  パイロットとしてベトナム戦争を戦い、その影響だろうか、当初はふさぎ込みがちなブライアンだったが、それをきっかけに、佐織ママとブライアンはよく話をするようになった。

  ブライアンは米軍のパイロットではあったが、エンジニアや科学者としての資質も豊かで、いろいろなことを話してくれた。やがて宇宙創成やブラックホール、超新星爆発、惑星の科学に及び、質問攻めをする佐織ママに、朝までつきあってくれたことも一度や二度ではなかった。

  そうしているうちに彼自身が、宇宙飛行士になるという新たな夢を見つけて、その3年後には見事にその夢を果たしたのだという。

  「それまでの私の人生のなかで科学に興味をもったことなんか、一度もなかったのに、彼の宇宙の話を聞いているうちに、私もだんだん惹き込まれてしまって、宇宙飛行士の夢も、自分のもののような気がしてきたの……」

  みんな佐織ママの話にじっと耳を傾けていた。そして真凛が、思い切って尋ねた。

  「あのー、で、その後、ブライアンとは、どうなったんですか?」

  牛すじの煮込みがいい香りを放ちはじめていた。一瞬、間があって、佐織ママは真凛の質問を聞いていなかったように、カウンターの向こうに消えた。

  国友が、つぶやいた。

  「きっと、二人は、この昆布と山椒のように、相性がよかったんだろうねぇ。ブライアンの父君は、佐織ママにいろいろ話しているうちに、自分の夢を見つけた。佐織ママも、ブライアンの父君の中に、淡い夢を見たんだろう。昔から、相性の良いものの代名詞で、『昆布に山椒、恋に酒』なんて言うがね。さあ、今夜はブライアン親子の話でもして、みんなでトコトン飲もうじゃないか」

  その夜、店のはるか上空では、天頂から地上に向かって、一筋の流れ星がさっと流れた。

2014年3月12日更新 (次回更新予定 : 2014年4月25日)

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