無罪のまま勾留
1997年(平成9年)3月、東京・渋谷区のアパートで、東京電力の女性従業員が何者かに殺害された事件についてはご存知、ご記憶の方も多いと思う。「東電OL殺人事件」とか「東電女性従業員殺害事件」といった名称の下で巷間(こうかん)有名になり、この事件を扱った書籍も多い。
そして、第一審で無罪とされながら、第二審で無期懲役の逆転有罪判決を受け、2003年(平成15年)に最高裁判所への上告も退けられて刑に服していたネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏が、2012年(平成24年)の再審で無罪とされたことも記憶に新しいところである。
この事件では、そもそもマイナリ氏が犯人であると認めるには疑問をさしはさむ余地が残されていたにもかかわらず、有罪とされたことに関して、裁判所や検察庁の問題も大きい。
しかし、本稿で取り上げたいのは、有罪とされた事実ではなく、マイナリ氏が第一審で無罪となり釈放されたにもかかわらず、無罪の状態のままでマイナリ氏の勾留(こうりゅう。身柄の拘束)を裁判所が決定した事実である。
法律(刑事訴訟法)の規定上、無罪判決が言い渡された場合には、勾留状(身柄拘束を根拠づける令状)の効力が失われることとなっているにもかかわらず、自由の身となっているはずのマイナリ氏の身柄拘束を、裁判所は許容したのである。
最高裁でも意見が割れた判断
やや具体的に記すと、以下のような事実をたどった。
第一審で無罪となったマイナリ氏は釈放され、東京入国管理局に身柄が移された。マイナリ氏が日本に住むことのできる期間を超過している、いわゆるオーバーステイの状態にあったため、退去強制(本国に強制送還すること)の準備をするためである。けれども、検察庁はマイナリ氏の身柄を拘束するよう東京高等裁判所に求め、東京高裁は、一度はこの求めを退けたものの、別の裁判官グループがこれを認容したのだった。
当然弁護団は承服できずに最高裁判所での判断を求めたところ、最高裁は5人の裁判官による審理の末、先の東京高裁による勾留の決定を追認したのである。最高裁での審理に加わった5人の裁判官のうち、マイナリ氏の再勾留に賛成したのは3人で、他の2人は反対の立場を示した。最高裁という司法の頂点に君臨する俊英な裁判官でさえ、3対2と意見が割れるほどの難しい判断だったのである。
ネパール人でなく欧米人なら?
マイナリ氏の無罪後の再勾留を許容した、東京高等裁判所や最高裁判所の決定文には、マイナリ氏が外国人だからあるいはアジア人だから、無罪にもかかわらず身柄を交流するのだ、などという文言は、当然のことながら存在しない。刑事訴訟法の規定をマイナリ氏の勾留に引きつけて解釈して、一応は合理的な判断とはなっている。
けれども、対象となったのがネパール人のマイナリ氏ではなく、欧米人であったなら、裁判所の判断は本件と同じものになっただろうか。(次項に続く)
* *
マイナリ氏の再勾留に関しては、同氏の弁護団の一員である石田省三郎氏による『「東電女性社員殺害事件」弁護留書』(書肆アルス)と、検察庁からの勾留の求めを退けた元東京高裁裁判官木谷明氏による『「無罪」を見抜く』(岩波書店)に詳しい。
2014年9月26日更新 (次回更新予定: 2014年10月25日)
ミャンマーへの道 の更新をメールでお知らせ
下のフォームからメールアドレスをご登録ください。