ミャンマーへの道

第14回 「裁判所の判断」と「世間の潮流」 − 日本人による外国人差別(6)

欧米重視の深層心理

前稿では、「東電女性従業員殺害事件」の被告人であったネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏が、第一審で無罪判決を得て解放されたにもかかわらず、東京高等裁判所の決定によって再度勾留(こうりゅう、身柄の拘束)された事実を紹介した。その後、次のような事件があった。

主人公は27歳のスイス人女性である。2006(平成18)年10月にマレーシアのクアラルンプール空港から日本に覚せい剤を運搬し輸入しようとした疑いで逮捕・勾留され、千葉地方裁判所に起訴されたが、無罪となった。件(くだん)の女性は釈放されたものの、検察官が裁判所に勾留を要請し、紆余曲折(うよきょくせつ)の後、2008(平成19)年に最高裁判所でも勾留を認める判断が下され、結局、身柄を拘束されることとなった。マイナリ氏と同じ経過をたどったのである。

マイナリ氏がアジア人で、この女性がヨーロッパ人だから、前者は無罪でも勾留するが、後者は勾留しない、などというあからさまな不当判断を、いくらなんでも裁判所がするはずはない。個々の裁判官も、アジア人と欧米人とを区別して接遇しようという差別意識を明示的に持っている人などごくごく稀(まれ)であろう。

それでも私は裁判所という組織全体を見てみるならば、世間の潮流に迎合する傾向があり、外国人に対する偏見との関連でいえば、――これまで外国人であるからとか、アジア人であるからといった理由に直接基づいて審理判断をすることはなかったし、今後もしないだろうが――それにもかかわらず、これら差別につながりうる欧米重視の深層心理を持っているのではないかと疑うのである。

ヤンゴン川近くに建つミャンマー港湾局
ヤンゴン川近くに建つミャンマー港湾局

「板付飛行場事件判決」の論理

裁判所が差別につながりうる深層心理を持っていると考える根拠は以下の通りである。

第一に、裁判所が伝統的に、アメリカには楯(たて)突くことができないとする判断傾向があることである。これには、背景として日米安保条約の存在がある。やや堅い話になるが、私が、結論とそれを導く論理に対してとても強い疑問を持っている判決を挙げる。それは、1965(昭和40)年に最高裁判所が出した「板付(いたづけ)飛行場事件判決」という著名な判決である。

ごくごく事案を簡略化すると、これは、終戦後、福岡県の土地所有者たちが日本政府と賃貸借契約を結んで、アメリカ占領軍に空軍基地(板付飛行場。現在の福岡空港)として使わせていた土地について、米軍の占領状態が終結し契約期間が終了したので、明け渡しを求めた事案である。米軍は依然として土地を使用している。

賃貸借契約期間が終了したのだから、土地所有者が日本政府に対して明け渡しを求めるのは当然の権利である。けれども、最高裁判所は、土地所有者によるこの請求を認めなかった。土地所有者たちが明け渡しを受けることによる利益よりも、日本政府が土地を明け渡すことによって被る損害のほうがはるかに大きいのだから、土地所有者たちは土地を明け渡してもらえなくてもしかたがないとしたのである。

政治性の大きな事案であるし、軍事上の事情も絡むことから、裁判所の判断もこのようなわかりにくい論理になったのであろう。けれども、まさに戦勝国として、また防衛上・外交上の重要なパートナーとしてのアメリカの逆鱗(げきりん)に触れることのないよう、慎重に配慮した判決である。裁判所によるアメリカ重視の傾向は、日本人がアメリカやヨーロッパに憧憬(しょうけい)をいだく事情とは異なり、文化的な縁由(えんゆう)に基づくのではなく、大きくは政治的理由に基づく。けれども理由はどうあれ、裁判所にとってもアメリカは特別な国なのである。

第2以下の理由は、次稿で述べたい。

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「板付飛行場事件判決」については、「裁判所」サイトで全文が公開されている。

2014年10月31日更新 (次回更新予定: 2014年11月25日)

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