前稿の最終部分で、日本人の配偶者であった外国人に対する相続問題についての差別が、外国人一般に対してのものではなく、中でもアジアやアフリカの出身者に向けられたものではないか、との見解を示した。つまり、日本において、アジアやアフリカ出身の人々は、欧米人よりも強い差別を受けているのではないかということである。
本稿から何度かにわたり、私がそう考える理由と、私がこれまで多くの外国人と接してきた経験も踏まえ、そうした差別を生む要因について検討してみたい。
「ふらんすへ行きたしと思へども」
第一に指摘したい点が、近代日本の学問や技術の多くが明治の開国以降欧米諸国から輸入されたものであり、その過程で欧米諸国は日本にとってのいわば手本とされたという歴史的事情である。そしてその手本となった欧米諸国の文化に日本人は憧憬(しょうけい)をいだいてきた。紋切り型の発想との批判はあろうが、日本人の外国人観を語る場合には、どうしても触れなければならない事実である。
萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)は大正時代に「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と書いた。『海潮音』などの訳詩を通じたフランスへの憧(あこが)れが綴(つづ)られた美しい詩だが、朔太郎は決して「いんどへ行きたしと思へども」とは書かなかった。インドの文学は大正や昭和初期には余り日本に紹介されていなかったし、仮に朔太郎がそれを読んだとしても、西欧化の潮流にあった同時代に、インドへの焦(こ)がれるほどの憧憬を募らせたであろうとは思われない。
「外国」とはどこなのか
欧米に対する憧憬や欧米重視の考え方は決して過去のみの傾向ではなく、20世紀末までの強度はなくても脈々と続いている現在の潮流でもある。
たとえば、象徴的なのはNHKのの対象言語である。非欧米言語は、中国語、ハングルおよびアラビア語のみであり、イタリア語やドイツ語よりも使用者のずっと多いヒンディー語(インド等)やベンガル語(バングラデシュ等)が採用されていない。ヒンディー語を母語とする多くの方が英語を駆使するといった事情があるにしても、土着の言語が軽視されている感はある。アラビア語にしても、他の言語よりも放送頻度が低いのが現状である。
民俗学等を専門とする故梅棹忠夫(うめさお ただお)教授は、1990年代後半の著書に次のように書いている。
「日本の場合は学術に限らず、芸術についても和漢洋だけに価値をみとめるという風習がある。つまり、日本と中国とヨーロッパだけが世界であって、そのほかには価値あるものは存在しないというおもいこみである。したがって、アフリカや中東、インド、東南アジア、オセアニア、ラテン・アメリカなどは、すべて視野から脱落しているのである」(『行為と妄想』中公文庫)
まったくその通りだと思う。
私が大学時代を過ごした1980年代も、当時の風潮として、「外国」というと暗黙に欧米諸国を指し、アジアを外国と呼ぶ風潮はなかったように記憶する(もっとも、近年は非欧米諸国、特に隣国である中国や韓国に対する関心度合いが強まっており、当時から見れば隔世の感がある)。
日本人による外国人差別が、欧米人よりもアジア人やアフリカ人を対象としていると思われることの底流には、まず第一に過去から脈々と続く欧米崇拝の念があると思う。
次に指摘したい点は、特に日本人には、自己が他に優越しているということや多数派に所属しているということを確認して安心したいという欲求傾向が強く見られるということである。そして欧米化や欧米崇拝の反射的効果として、この欲求が非欧米文化に対する蔑視(べっし)へと転化していく(次稿へ続く)。
2014年7月25日更新 (次回更新予定: 2014年8月25日)
ミャンマーへの道 の更新をメールでお知らせ
下のフォームからメールアドレスをご登録ください。