ミャンマーへの道

第4回 文化に優劣はあるのか

なぜミャンマー人は自国を小国と考えるのだろうか。

もちろん、ミャンマー人自身も、日本の2倍近い国土を有し6000万もの人口を擁する自国を、物理的に矮小(わいしょう)な国だと認識しているわけではないだろう。ある意味比喩的に「小さな」国と自己卑下しているのである。では、何をもって「小さな」と言っているかといえば、それはとりもなおさず、経済と文化のことを指しているように感じられる。経済に関しては稿を改めて述べ、今回は文化について記したい。

    

先日、ある訴訟の当事者となっている30歳前後のミャンマー人男性と、東京霞が関の官庁街を歩いていると――その男性は日本語があまりできないのだが――「日本は大きいね」ともらした。何がそんなに大きいのかと問いかけると、とにかく建物が大きく道も広い、といった意味合いのことを返してきた。鉄道や地下鉄が張り巡らされ新車もビュンビュン走る東京の街に、彼は感心し、それにとどまらず圧倒されているかのようである。ヤンゴンには東京ほど高い建物は少ないし、鉄道網も発達していない。ましてや、その男性は、山地が大部分を占めるミャンマー北部・カチン州の出身だから、東京の経済の発展や「近代的」な文化の浸透に対して、ひときわ瞠目(どうもく)するのも無理はないのかもしれない。

けれども、果たしてミャンマー人は、それほど自国の文化を劣っていると考える必要があるのだろうか。否(いな)そもそも文化間に優劣など存在するのだろうか。

    

文化の優劣に関しては、学生時代に考えさせられた経験が2度ある。

一つは大学の授業である。

比較文学の講義において、その教授は、国の文化の消長は経済の盛衰に比例するという趣旨の話をされた。ルネサンスも貿易で蓄積された経済力に裏打ちされていたし、江戸文化も徳川幕府政下での経済力が背景にある。20世紀における欧米を中心とする文化的「発展」は経済の賜物(たまもの)である。だが、このような視点は一面的に過ぎないのではないだろうか。

すなわち、この視点によれば、「経済力と比例する文化」とは、一方で、「どこか余裕のある風雅な教養」というモデルが暗黙に想定されているし、また他方で、生活にとっての利便性に資する実利的側面が重要視されているように思われる。しかし、風雅な教養や実利ばかりが文化ではないであろう。たとえば、漁師たちが出漁に際してうたう歌。草木にも精霊が宿るとするアニミズム。小さな村の名もない民話。これらは、必ずしも経済力とは縁がないけれども、立派な文化である。

もう一つの機会は、就職する企業に内定後、その社長と面接をした際である。

サントリーという酒の会社の社長であった佐治敬三(さじけいぞう)氏(故人)から次のような質問を受けた。すなわち、多民族国家の文化と単一民族の国家の文化とでは、どちらがすぐれていると思うかと。これは1986(昭和57)年秋のことで、当時の中曽根康弘首相が、複合民族国家は知的水準が低く、日本は単一民族国家なので知的水準が高いという内容の発言をして、物議を醸(かも)した時期であったから、これを念頭に置いた質問であっただろう。

これに対する私の回答は、「文化に優劣はないと思います」というものであった。会社の採用に関する面接でこのような質問が飛んでくるとは思わなかったが、どのような文化であれ、優劣は存在しないのだという信念が咄嗟(とっさ)の答えにつながった。佐治社長はサントリーが様々な個性を持つ人間の集まりであることについて矜持を持っていたから、複合民族の文化の方が優れているという答えを期待していたのだろうと、この後考えた。しかし、やはり文化間の優劣は観念できなかったので、譲ることはできなかった。

ミャンマーの中国
ミャンマーの中国人街。日本人から見れば「汚い」食堂も文化の一つ

    

私は、何人かのミャンマー人が、自国の文化が、日本やその他の国の文化よりも劣後しているという認識を持っているとしたら、それはとても残念なことと思う。あなた方にも、立派な文化があるではないか、それをぜひ我々に教えてほしい、と懇請したい。

2013年12月31日更新 (次回更新予定: 2014年1月25日)

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